良きステキライフを!
メルカリで買った映画のパンフレットに付いていたメッセージカードに書かれていた言葉。
なんだか、ポップでいいなと思った。
久しぶりに家のテレビで観た『天気の子』が想像よりもはるかに良くて、その映画の記憶が消えてしまう前にとポチッとした。そんな気まぐれな買い物に、絵の描かれた(それはすずめの戸締りに出てくる猫ちゃんだったのだけども)メッセージカードが入っていた。
丁寧な出品者さんは、一言二言のコメントを発送する品物の中に入れることもあるだろう。それは社交辞令に似た優しさであると思う。
ところが、今回の出品者さんはなんだか自分をその品物に残しているような気がした。品物に自分を託しているような気分さえ感じた。
もちろん、これは僕の思い上がりだけども、僕はこういう誰かからのお下がりで、前の持ち主を感じる場面がわりと好き。
例えば古本の中に何かのメモが挟まっていたり、落書きがされていたりするのを発見すると嬉しくなる。
前に神保町に旅行で行ったときに、昔の映画のパンフレットが段ボールに山積みされてる店があって、そこで買ったパンフレットの裏面には恋人同士かなにかの男女の名前が油性ペンで書かれていたのがこれ。
それから30年以上たってる『ひろ&まさこ』はどうしてるだろうか、仲良くやっているのだろうかと考えると途方もなく人間の歴史を感じるし、回り回って僕がそれを知っているのがおかしく感じられる。
ただ、僕はなんだか昭和終わりがけの彼らの関係を令和の時代に証明できる唯一の人間のように思えて、なにかしらの保証人にでもなったような特別感がある。
僕が初めて買ったフィルムカメラで下北沢の街を撮りに行こうと旅行に行ったときに、素人が入店してもいいのか疑ってしまうような骨董品店めいたところに入った。
でも、中はどちらかというとガラクタばかりで少し安心したのを覚えている。そのお店で3つキーホルダーを買って、その一つがこれ。
僕が初めて買ったフィルムカメラってのが『minolta XD』という1977年に発売された機種だった。
キーホルダーの裏面には「1977 AUGUST」の文字が掘られている。
このキーホルダーはそのカメラポーチにつけている。なんだか違和感なく同じ時代のものが混ざり合っている感じがして、僕は勝手にその時代のことをよく知った気分でいる。
誰かがモノに残した足跡のようなものはあまりにも不確実だ。それは全くもって前の持ち主の全てが分かるわけでもないし、それを証拠品のようにして前の持ち主の人間像をイメージするのにはあまりにも乏しすぎる。
それでも、なんだか「そういう人がいたんだな」と思うことはできる。それは微かすぎる個人の歴史だけども、僕はそういうものをたまたま手に入れると嬉しくなる。なんだろう、大昔の縄文人は何の気なしに貝殻とかのゴミを捨てていた場所を現代の考古学者が大興奮で貝塚だと大騒ぎしているのに近い感覚じゃないかと思う。
だから僕は自分の周りのモノには名前を書いておくよう感覚で、またマーキングをするような感覚で、自分を残しておきたいなと思う。また、本でもCDでも、日記でもモノとして、形で残せれるものには、それに形を与えて残してあげたいなと思っている。
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