エッセイのこだわりを手放しつつある。
「手放す」と「手離す」
なんとなくニュアンスが違う気がするけど、どっちがどっちかわかんなくなっちゃって、調べてみた。
私が今回使いたい意味合いは「手放す」のほうだった。「ゆるす」、しっくりきた。漢字の持つ意味に肯定されて、ホッとしてる。
※このイメージに合わせて素敵なサムネ画像を拝借しました🥰
ここで言うエッセイは、毎週日曜日に更新していた「あの日、あの街で、彼女は。」マガジンのこと。そう、更新していた、過去形なの。
エッセイマガジンを始める前にいろいろ考えた結果、「毎週日曜日のお昼12時〜13時の間」に更新するマイルールをつくった。ペルソナ含めていろんな狙いはあったものの、いちばんの理由は普段のこつぽんと人格を切り分けたかったから。こっちは「離す」だね。
でも予約投稿するほどぴったりにこだわってたわけでもないし、エッセイに限らずに書き置き(?)しておくことがあまり得意ではなくて。余談ですが、料理の作り置きもあんまり好きじゃない。
だんだんと、12時〜14時ごろ、せいぜいおやつの15時ごろまでには…とずるずるし始めまして。
30記事目のタイミングで、とうとう夜になった。日曜日の当日に予定があったゆえもあるけど、いままではなんとしてでもお昼に間に合わせようとしていた。でも間に合わなかったし、そこまでこだわる意味なんだろ〜って考え始めたときでもある。
それから、35記事目までは日曜日の夕方〜夜にかけて投稿を続けていた。時間を決めないとずるずる夜になっちゃうよね。悪いことじゃないのに罪悪感というか、書きたいよりも書かなきゃ〜ってタスクが残ってますよアラートが鳴ってた。
そしてついに、36記事目のタイミングで初めての「お休み」をした。当日の夜まですっかり忘れてたの。タスクが残ってますよアラートすら発動してなくて、そういえば今日は日曜日だよな…ってことはエッセイ…書いてないじゃん!ハッ!みたいな。すっごくゆっくり脳内を巡る感じで、書かなきゃじゃんって思い出したはいいんだけれど、全然エッセイを書く気分にもなれないし、脳内モードが切り替わらない。二日酔いでも予定があっても更新してたのに。言い訳を添えて、お休み宣言ついーとをした。
終わりじゃない、ひと休みするだけ。
普段のnoteとエッセイの違いは、ちゃんと「過去のわたし」と向き合う時間が必要なこと。普段から記憶のいちばん手前にいるわけじゃないから、きっかけから思い出して、その奥にある引き出しを開けて大事な記憶とともに情景をなんとか言葉に起こしてエッセイにする。ほぼノンフィクションエッセイだからこそ、あまりにも創作感のある過剰な描写にしたくなくて、妥協したくないんだよね。あくまで自分の記憶や当時の心の揺れ動きに忠実に、感覚を研ぎ澄まして、「今のわたし」が「過去のわたし」の肩をとんとんできるくらい近くに感じるまで思い出す。過去のSNSや写真を見返したり、Googleマップのストリートビューを拡大して見まくったり。究極的にエゴなんだけど、やっぱりリアルを残しておきたいから。
そうすると、やっぱりそれなりに体力や気力が必要でね。ハッピーな思い出だけじゃないし。やっぱり思い出すまでの時間と、1,000文字前後のエッセイに落とし込むにはどのシーンを切り抜いて言語化するか迷うんだよねえ。もちろん書き始めたら、すらすら言葉が浮かんでサクッと書ける日もエピソードもあるけど、記憶の重みは平等じゃないからね。
まあそんでもって、この先どうする〜?ってお話。書きたい駅候補のリスト数からすると、35記事書いてようやく折り返し地点が見えてきた頃なので、まだまだ続くわけで。書き切った!ってなるまで絶対に終わらせないから、それは安心してね(いつも読んでくださる方々に感謝を込めて)。
投稿時間を気にしてたのは、最初にマイルールで決めた諸々のせいなんだけど、ぶっちゃけ何時に投稿しようと読む人の時間帯はそれぞれに委ねられるよね?ってことに薄々気づき始めて…その挙げ句の結果なので…。
「日曜日更新」ということだけは、今後のルーティンとしても決めておきます。毎週更新のルールも一旦終わりにします。
でも毎週エッセイを書くことで、毎月10記事以上書くぞ〜(またしてもマイルール)の投稿数担保と、投稿始めてからずっと続いている毎週連続更新記録が途絶えていない恩恵もあるので、あんまり休みすぎずに続けます。でもたまにはお休みする日もあります。お休みしてエッセイ以外のnoteを書くときもあるかもね。
ということで、手放す宣言と続ける宣言とお休み宣言といっぱいした!!あとはエッセイに向き合うお気持ち表明までしちゃった…(ちょっと恥ずかしい)。
ではまた、日曜日は「あの日の彼女」に会いにきてくださると嬉しいです😌🌇
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