推理小説家

題名の「推理小説家」をタイピングして、おどろいた。

予測変換で一番に出てくることを予想していた「推理小説家」は、なかなか出てこず、スペースキーを何回か押して、ようやく変換。

「推理小説か」
「推理小説可」
「推理小説化」
「推理小説科」

で、ようやく
「推理小説家」。 5つ目。

僕の使っているMacBookが2015年製だからか。
ちょっと違う気もする。

不思議な変換だった。


本題。
僕は書くことが好き。
もっと言えば、パソコンのタイピングが好き。
スマホでフリックで打つのも好きだけど、パソコンのキーボードをパチパチやる感触と音。これが好き。

僕の幼い頃、昭和のまだパソコンがそんなに流通していなかった時、振り返るとその時から「書く」ことは好きだった。鉛筆で。

一番の思い出は、小学校のときのクラスの数人で活動していた、「小説部」のこと。
当時、江戸川乱歩の作品に、惹かれていた部員数名と、自分たちでもおもしろい小説が書けないか、いや「書ける!」と思いこんで発足した小さな活動は、僕の「書く」ことの原点ともいえそうなくらいの体験だった。

心の底から楽しかった。

ほぼほぼ、自分が読んだ作品の真似事のようなストーリーだったような気もするけど、自分たちが読んだときのワクワクを、ちょっと身近な人を登場人物にしたりして、物語をつくっていく過程と、できあがった文章を見せ合ったり、自分で読み返してみたりしていたときの高揚感は、何十年もたった今でも、少し感じとることができそうなくらい、記憶に残っている。

11歳か12歳で小説が書ける自分、もっと言うと、「こんなにおもしろい小説を書ける自分」を敬ったりしていたんだろうと思う。
部員の友達もほめてくれるし、親にもちょっと見せると、それは大げさにほめてくれるし、僕は、「絶対小説家になる!」と、わりと本気で思っていて、ペンネームも考えてた記憶がある。
(どんなペンネームかは忘れたけれど・・)


そんな、活動にのめり込んでいた僕も、小学校を卒業して、小説部のみんなと別々の進路を進んだときに、活動も自然消滅してしまい、大人になって、noteのようなメディアに出会うまでは、活動休止をしていた。

あの頃、「僕は天才かもしれない」と思っていた自分とはかけ離れているような今の自分の自信度だけど、「好き」なのは、変わらない。

素人の書く、つっこみどころが多いであろう文章を、日本のどこかの誰かが、そして世界のどこかの誰かがみてくれて足あとを残してくれている。

天才から凡才の執筆人になったような感覚だけど、天才だと思っていたあの頃より多くの人の目にとまっていると思うと、不思議で、うれしい。

うまい文章書きたいと思うけど、今の楽しみは、自分が思いのままにタイプした文章を、何年、何ヶ月か経ってから見返すこと。

それだけで、noteやブログ、日記なんかは楽しめるエンタメだと思う。


思い立って、久しぶりに「江戸川乱歩」で検索したら、Amazonに売っていた!
早速、Kindleで読んでみることにする。

「緑衣の鬼」好きだったなぁ。
たしか自分のおこずかいで、初めて買った本だったと思う。

わくわく。


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