改良運動を通して信頼を取り戻す 2月9日(日)~2月15日(土)
2月9日(日)
重めの頭痛で寝込む。家から一歩も出ず。起きては『呪術廻戦』を見たり、ベッドに横になってポッドキャストやYouTubeで実話怪談関係のラジオを聴いたりする。なんとなく丹生谷貴志がカスタネダについて言及していた過去のつぶやきを探す。武田崇元のつぶやきに触発されて、USAIDについて調べてしまう。昨日からいろいろ考えるが、デプレシャン『映画を愛する君へ』を無邪気に褒めているシネフィルにはやはりムカついてしまう。
2月10日(月)
映画を2本見る。1本目はダリウス・マーダー『サウンド・オブ・メタル』。 障害を負った主人公(本作の場合は両耳の難聴)がそれに葛藤しつつも受容していくという物語ならありふれているが、本作は少し違う。障害は個性とかいう生温いものでもなく、健常者社会に対する静かな価値転倒を孕んでいるように思う(とりわけ最後の数ショット)。なんというか思想性・宗教性がある。監督はグルジエフの信者の共同生活で育った経験があると知り、納得。聾者コミュニティの描写には美しさと同時にカルトっぽさを見ることができる。私自身、病気にならなければこの作品には関心を持たなかったと思うし、たぶん見てなんじゃないのかという気がする。そういう意味でも見ることができてよかった。2本目はラドゥ・ジューデ『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』。なんとなくマカヴェイエフの諸作品を思い浮かべる。まあまあおもしろかった。
2月11日(火)
反紀元節
2月12日(水)
人生どうでも飯田橋と元気になりたいの間で
2月13日(木)
私人逮〇系ユーチューバーの動画を見てしまう自分のなかの暗い欲望と向き合う。成敗される側に家庭がある、裕福(そう)で社会的地位が(ありそうで)あればあるほどいい。クズがクズに成敗される様は中毒になる。こういう人間の情動(劣情?)に訴えかけるアテンションエコノミーの問題は、もちろん現在の(右派的)政治とも深く関わっている。夜、高円寺で友人と飲む。やさしい夫婦が店主の店。USAID問題について友人に教えてもらう。酒とカレーでお腹いっぱいになる。
2月14日(金)
労働後、組合の学習会。濱口桂一郎『働く女子の運命』第2章まで。けっこう勉強になる。別の読書会と被っていたのが悔やまれる。現在の左翼の問題とはなにか。それは人々に信頼されていないこと。改良運動を通して信頼を取り戻すことが大事なのでは、という話になる。
2月15日(土)
石鹼洗剤を使って洗濯してみる。違いは今のところあんまりわからないかもしれない。昼、宮崎滔天の半生を描いた浪曲を聴きに行く。浪曲を聴くのはたぶん10年以上ぶり。おもしろかった。西南戦争で戦死した息子の知らせを聞き、ショックで庭にゴロゴロとその巨体を転がせながら「官の飯は食うな!」と滔天たちに叫ぶ父親。滔天本人はもちろん、周りにいる人たちもなんか凄い感じ。浪曲師でもあった宮崎滔天を浪曲でやることのメタ性は、アナキストの活弁士が出てくる神代辰巳『宵待草』を連想させるものがあった。深夜、北野武『Broken Rage』見る。おもしろかったが、感想が難しい。