未亡人日記66●京都の夜の話
私の京都には思い出がバウムクーヘンの層のように重なっていて、新京極、行き止まりの蛸薬師の前を、子どもたちが小さい頃ここで撮った映像が残っているなあと思いながら、歩いている。
昔、有次の包丁を買って、柄のところに名前を入れてもらった。あの包丁はペティナイフとしてうちで大活躍していたが、いつの間にかなくなってしまった。思うに、新聞紙の上で何かの皮を剥いてそれと一緒に捨ててしまったんではないだろうか。
包丁を買ったのは00年代のことだ。
それを今思い出したので、有次で包丁を買いたくなったのだが、店の前へ行ってみたら閉店している。まだ5時なのに。
ホームページを見たら、閉店は4時だった。うちの田舎でもそんな店ないぞ、殿様商売やな。でも殿様の街ではないから、貴族の商売かな?
寺町方向へ向かって歩く。古本屋を覗いて、仏教哲学の本を買い、鳩居堂で細々した紙物をみる。京都は楽しいなあ。でもまだまだ行く予定の店にたどり着くためには時間を潰さないといけない。
鴨川方向に歩いて行って、川べりには下りずに、橋の欄干のそばにあるベンチの辺りでぶらぶらする。遠くにいる人にメッセンジャーを送る。うっすら暗い夜の京都。遠くの人の感触も心なしかくらい。
そんなふうに時間を持て余している。なので適当に、チェーン店みたいなバーに入って、マティーニを飲んだ。
カウンターの中のバーテンダーは同年代ぐらいかなあと当たりをつける。私が口開けの客かと思っていたら、もうすでにカップルが1組入ってきて出て行った後だそうだ。
普通は礼儀として2杯は飲むんだけど、この後があるから、悪いかなと思いつつ1杯だけにする。
京都に住む食通におすすめされた居酒屋は、ガイドブック的なものには載せていないらしい。開店時間になったのに、この辺りにあるはずなのに、辿り着けない。ぐるぐる付近を探して、ビルの駐車場の受付のおじさんにまで聞いたのに、全然見つからなかったのは、お店の看板を前の店の名前のままにしているという意図的なのかズボラなのか不遜なのかよくわからないせいもあった。40代にはなっていないだろう若い主人は京都の生まれではなく、日本酒はほぼ、山形の美味しいお酒であった。つまみは魚の仕事のレベルが高い。
カウンターだけの店なので自然と隣の人と話すし、皆それも目当ての感じであった。つまみの交換などもごく自然におこなわれて、若い人が多いけれど、ちゃんとしている大人の社交場になっているのである。楽しい。
着物の仕事で来たという男性、首都圏から来た推定学会帰りのおじさんとおばさんなどと喋っていて、だんだん酔っ払っていい感じになってきたが、いやいや、明日は試合の応援なのだから飲み過ぎてはいけない、と自制する程度の理性は残っていて(それでも3杯は飲んだ)、トイレの扉の上にかかっている晩年ではない勝新のモノクロ写真の笑顔をずっと見ながらだったせいで、つい、昔、勝新の事務所に取材に行ってインタビューした時の勝新が素晴らしかった話と、勝新が取材途中で寝てしまった時の思い出を語ってしまった。(普段はそういうことを言うのが恥ずかしいと思っているので、やらないのに。)そうしたら、学会カップルのおじさんの方が「あなたは一体何者ですか?」と訝しげな声を上げたので恐縮してしまい、すみません、すみません、(ただの元雑誌編集者です)と私は店を出て、1日バス券でホテルの近くのバス停まで戻った。
まだ10時前だった。
なので、「しめに1杯飲もうかな」という気になり、でももうお金を使いたくないなあ、なんでもいいや、居酒屋で、と、大通りに面してビニールの風除けで囲まれている居酒屋に入った。コの字カウンターがいくつかある店で「そこ」と店のお兄ちゃんに指定されたところに座った。
ハイボールを頼むと、自然と隣の人と話しが始まって、自分よりおっさんだと思ったら、その後、私より3つは年下のことがわかった。年をとると、くたびれて見える、自分より上と踏んでいる人がほぼ全員年下なんだなあ。なんていうんだろう、この現象。
そして隣人はいきなり、兄弟が刑務所に入ってて、という話を始めるのであった。未だかつて、そのような話をするひとにあったことがなかったので、私は相槌だけ打って静かに聴いていた。
次に、老いた母の面倒を見ている話。同居はしていないが、近所には住んでいる、その不肖の兄弟は当てにできないし、むしろ母をそこから守っているような話だった。
ほぼ同年代のくたびれたおじさんの母を恋う話を聞いていると、酔っているせいか私の息子たちも私がお婆さんになったらこんなふうに思ったりするんだろうか、こんなふうに私も労られるんだろうか、と期待と不安が入り混じるような気持ちで聞く。
未婚なのか離婚かわからないけど、独り者のおっさんの哀感が漂ってきて、全てが揃っている人生などない、ただ、できることはやっていこうというしみじみした諦観が嫌ではなかった。
営業で京都に来るとここにもう10年以上立ち寄っているとおっさんは言う。なので、カウンターの中の若い者にちょくちょく話しかけたりする。若者は京都の大学生だが出身は九州で、とおっさんが他己紹介しているうちに、また、うちの大学生の顔がもわんと浮かんできたりした。
京都の夜は人と話をする夜であるなあと思った。
2時間近く結構話し込んでいたのに、おっさんは「それではお会計」と唐突に言って、帰って行った。
取り残された私はその後、もう一杯飲もうか考えたが、明日があるからやめようと理性を働かせて「私もお会計」と若者に告げた。
お会計は千二百円であった。