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未亡人日記43●はるのおでかけ




東海林さだおのエッセイの名作に「春のお出かけ」というのがあって、それは春のうららかな陽気に誘われて新宿にお出かけする話だった。

駅のホームでおばさんがたばこをしみじみと吸っている描写があって、それが秀逸なんだった。このころはホームで喫煙はごく普通の行為ではあった。

そのあと、てんぷらを食べるんだ。天丼だったかな? 

あれはなんの単行本にはいってたんだっけ。夫の愛読書だった。

今日は学校が休みの三男が家にいて、「春の服を買いたい」というので、急遽うちも「はるのおでかけ」になったのだった。

ほしい服はなにか? と質問して紙に書かせたら白いシャツ、白いパーカー、ベルトという。そしてお出かけに、白いシャツを着て、ネクタイをしたいという。
ネクタイ? なぜ? BTS?

亡夫のネクタイコレクションに、紺色のニットタイがあったことを覚えていたので、出してきた。

「どうやるの?」

私はネクタイの結び方を知らない。
兄たちも出かけていていない。
「YouTubeにあるよきっと」と私が言って、三男はYouTubeを見ながら細い紺色のニットタイを白いユニクロのシャツに結んだ。

アメリカ映画とかだと、余命を宣告された、幼い息子がいる主人公がビデオに向かってネクタイの結び方を撮影したりするよねえ、なんかそんな映画があった。夫はそういうことはしてくれなかったな。

「もう出かけたいんだけど」
「もうできる、あと5分」

夫よ、君がいなくても、YouTubeが三男にネクタイの結び方を教えてくれたよ、と私はフラットな気持ちで思った。

無印良品で本人のリクエストの白いシャツを買って、三省堂書店に下って文庫本数冊と漫画を買って、はなまるうどんでお昼を食べた。

「公園のところに、あるよね、おしゃれなコーヒーの店。なんか狭いところだけど」と、三男が言う。

それはきっとブルーボトルコーヒーのことだな。

「あーあ、誰か友達がいないかな。買い物にきてたりしないかな」

こういうところはまだ中学生の面白いところだなあ。そして同時に、もう夫と買い物に一緒に来れないのだなあとも思う。

長男は、高校入学の時になんちゃって制服を夫と買いに来て、男の服装にうるさい夫の洗礼をあれこれ受けていたが、三男は私しかいないから気の毒だなあ、しかし一番残念に思っているのは夫だろうなあと、思ったり。

ブルーボトルコーヒーの店の前にある公園は、最後の結婚記念日に一緒に散歩に行ったところだった。

「私の行きたいところにも付き合って」と私が言って、歩いて行ったのは、オリエンタル博物館。私たちのほかには誰も客がいなかった。コロナのせいかもしれないけれど、貸し切りだった。

なぜか数ヶ月前から、私の中ではオリエンタルブームが起こっていて、この博物館もずっと来たかったのだ。

私たちしかいないのに、メソポタミア文明やエジプト文明を解説する映画がずっと流れている。ロゼッタストーンやハムラビ法典やミイラのレプリカも見ているのは私たちだけ。

たくさんの古い古い時代の民族がみんな死んでしまって、その遺跡から発掘された水差しやナマズのミイラやこぶ牛の土偶が展示されている。

人々は消え去ってしまって、生活を支えていた遺物がコロナ禍の中で客がわたしたちだけしかいない博物館の中にしんとしている。

だいたい、オリエント地方の歴史は古すぎて、そして興亡した国々も多すぎて、世界史の年表を丸暗記するのがなかなか難しい。
4大文明をやったあと、オリエント地方にはいるととたんに覚えられなくなるのだけれど、ペルシャがイランなことや、チグリス、ユーフラテス川がイラクなことはなかなか私の頭の中では結びつかない。マイオリエントブームになって改めて考えてみるまで、古代の歴史と今の国は断絶していたが、実は歴史はつながっているのだよ、と誰かに私は頭の中で話しかけている。

たくさんの民族が生き、やがて姿を消していった。私たちもまたそのような歴史の一部なのであるよ。そう思うことは慰めでもあるような。

楔形文字で、自分の名前を書いてみる、という一人ワークショップをやり終えて、夫の早すぎた死を悼みながら、少しずつ私は再生していくのかと春のお出かけのしめくくりに思う。


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