未亡人日記017「聖家族②水仙の花が咲いていた」

車を持っていなかった、3人家族のころ。

休日に出かけるのは電車だった。
そのころ私は千倉にゆかりのある作家の本を作っていた。2月の休日に、千倉にいってみようかということになり、家族3人で東京駅から特急「わかしお」に乗った。

海に行く電車のせいなのか、車体がブルーだったような気がする。窓も大きかった気がする。東京駅から千倉までは2時間ぐらいかかったような気がする。そして、千倉の駅から海までも結構遠かったのでタクシーで海のそばまで行くことにした。

丘の斜面を覆うように水仙の花が咲いていた。
タクシーの運転手によれば、水仙を見に来る観光客のシーズンは過ぎてしまっているというが、私は水仙が大好きなので「いいところだな」と思った。
温かいし、空も海も青い。
太平洋式気候の冬の青空の下の水仙は、のびのびと冬を謳歌していた。
キラキラ光る海が見えてきた。

海風が吹く砂浜に3人で降りて、波打ち際まで寄って行こうとしたら、息子が不意に大きな声をあげて泣き出した。
波が怖いのだという。私も夫も海育ちなので慌てた。海が怖いという子どもに育ててしまっていることになぜか私は狼狽した。

夫はあやすために息子を肩車したが、風の抵抗がさらに息子を泣かせた。

息子が泣き止まないので、海岸での散歩はあきらめて、海岸からかろうじて歩いて行けるところにあった地元の物産ショップをひやかしてから、またタクシーを呼び、わかしおに乗って東京まで帰った。

作家との打ち合わせの時に千倉に行った話をしたら、作家は「なあんだ、行くことを教えてくれたらいろいろ紹介したのに」と、少しうれしそうだった。土産ショップにクジラの缶詰だったかクジラジャーキーだったか、そういうものが置いてあったのが、千倉の街の特産なのかなあと思ったけれど、海育ちの私としては特に目新しいものもなくお土産も買ってこなかったので、そうだ、確かに、行く前に聞いてみたらよかったなあと思った。

たぶん21世紀の最初の年のことだ。

夫も若く、私も若かった。息子は2歳だった。

私はこのあと、さらに2人の子どもを産む未来など想像もつかず、この聖家族状態のまま、3人でひっそりと暮らしていくのだろうなと思っていた。

大きく広がる太平洋。その前のちっぽけな砂浜の上にいる寄る辺ない3人家族。それが世界の単位だと思っていた。

冬の青空
水仙の丘。
息子の大きな泣き声と涙の粒。
波の音。
夫のセーターのからし色。
太陽の光。
海の波。

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