未亡人日記31●最後の夏休み
フリー乗車区間のバスを手をあげて止めると、お盆のせいか、いつになく乗客がたくさん乗ってっていてびっくりした。私はひとりで島の最南端の灯台までいくつもりだった。
バスに乗って灯台まで行くのはのいつぶり? 小学生のころ、そっちの方向に友達が住んでいて、それ以来かもしれない。
海水浴場を経由してバスは走った。小雨が降っているので乗客の人いきれで窓ガラスが曇る。曇りガラスを手の甲でふくと、雲に垂れこめられて雲と同じ色になった海の切れ端が、海の家の屋根の先に見えた。あの辺は砂浜。海水浴客はそれでもいくらかいて、短い夏を惜しんでいる。
「バカンスはいつも雨」という曲の歌詞が、私の頭の中を何十年ぶりかに流れた。
灯台へ続く旧道で降りたのは私だけだった
灯台は遠かった。下りたり上ったりする遊歩道、松くい虫に茶色くやられた松林の先に灯台があった。記憶よりずいぶん小さかった。
歩くことは好きで、よく二人で歩いた。でも今日は私だけだ。
夫と子供たちは、昨日来て泊まらずに帰ってしまい、私だけが実家に残った。
昨日は海水浴場のそばの漁港でみんなで釣りをした。
釣り好きの夫は昔、島の漁協で買った釣竿を納屋に突っ込んでいたらしい。二本釣竿をひっぱりだしてきた。
みんなが釣りをしているところを携帯でとって、あとで夫だと思ってみていたのが次男だったので驚いた。
ところで私は海の釣りが好きじゃない。飽きてしまうのだ。
次男がちいさなタナゴみたいなのを釣ったけれど、釣りは盛り上がらず、わりとみんな黙々としていて、そして子どもと夫は島から帰ってしまった。
後で聞いたのだが、夫は自分の実家でも、釣竿を引っ張り出してきて、黙ってていねいに磨いていたらしい。
「どんな気持ちで手入れをしていたんだか・・・」
その後姿を思って義母は泣いていた。
最後の夏休みになる、そんなふうに夫は予感していたのだろうか?
蕭々と雨が降ってきて、細い草の上に静かにおりて行った。
バス停で見てみると帰りのバスは1時間後だった。呆然としてしばらく雨除けのついているベンチに座っていたが、歩いたら1時間はかからないのだから、1時間待つのは馬鹿ばかしいと思って歩き出した。降っているけれど、雲の上は明るい。
お盆のころ、島はかあっと暑くなり、そのあと雨が降ると一気に涼しくなる。その一雨の後は、空の青さや海の青さがそれまでとはひと味違ってくるのだ。
そんな、子どものころの記憶の夏の終わりを頭の中でたどっていた。
一人で黙々と小雨に濡れながら実家までたどり着くと、親戚が集まっていて、東京や仙台からお客さんも来ていて、一気ににぎやかな雰囲気になった。
夜は花火があって、雨ではあったけれどうちの玄関から海水浴場のほうを見ると次々に花火が上がって、子どもたちに見せられないことを残念に思った。
それから1週間ほど後のこと。
私と夫は新宿でバスを待っていた。
この日も曇っていて、かすかに雨が降っていた。
子どもたちが夏休みの合宿に行ったので、そのお迎えだった。
向こうを昼過ぎに出たとはいえ、交通渋滞で遅れたり、または意外に早かったりするので時間が読めないのだ。なので早めに来て新宿で時間をつぶすのが毎年のことだった。
おなじ喫茶店に2回行き、アイスコーヒーを2回飲んだ。サイゼリアがイタリア人には意外に人気なんだ、などと言う話を、イタリアンレストランの店頭に貼ってあったポスターを見ながらした。
こういう、何かを待っている時間というのは、なんというかゆったりしている。なにをするでもなく、夫と二人で子どもたちが帰ってくるのを待っている。「絶対帰ってくる」ことは当たり前すぎで疑うこともなく。
待っていることに何の疑いもない瞬間の積み重ねというのが日常生活で、でもふっとそれが終わることもあるのが人生だ。
バスから上気した顔で降りてきた上の息子が、試合に全部勝って商品券をもらった! 香港のチームからも来ていて、英語で喋ったよ、と報告する。下の子は、ぼくは英語しゃべれないからバスの席では黙っていたと報告する。
コーチや監督にあいさつし、顔見知りの保護者にあいさつし、タクシーを拾ってトランクに荷物を積んでもらい、四人で家に向かう。家には長男が待っている。
当たり前の夏休みの終わり。
その次の年の夏、私は一人で新宿でバスを待っていた。