32●ババヘラアイス
秋田への旅は困難を極めた。
そもそもそこへたどり着くまでが大変で、8月の18日また夫が入院してしまった。
静脈瘤が病気の副産物としてできており、このまま放置すると何かのきっかけて破裂して大出血となり最悪の場合出血多量で取り返しのつかないことになる。そんなわけで急遽バンドで縛り、人為的に潰す手術をすることになった。
手術の結果と経過によっては秋田の旅に間に合うように退院できる。
でも、もしかして退院せずにいったほうがいいかもしれない、と友人のドクターがアドバイスをくれた。退院せずに、「外泊」ででかけるほうが、「ウチの患者」として、何かあったときも対応ができるそうた。なるほど。
でも遠い秋田までいって「なにかある」?って。
それはそれで恐ろしい。恐ろしいがそれは想定しないといけないことだった。
試合は9月3日だった。手術は24日。何回も私たちは指を折って数えた。術後に退院してもいい日数はいつか。間に合うかな? 間に合わなければ私が一人で息子を連れて行くだけだ。でも夫は行きたがっていた。毎回、試合を見に行くことで自分を奮い立たせ、闘病のマイルストーンにしていた。
結局、夫はなかばフライング気味に退院して、私たちは「こまち」に乗った。
新幹線のホームで、ふとみると、夫がはっとした顔をしていた。駅の鏡に写った退院あけの自分の首がすごく痩せていることに愕然としたらしかった。私はちょうどそのとき、バイカラーの長めのスカーフをカバンの中に持っていたので、黙って夫の首に巻いた。そしたら、おしゃれなおじさんみたいになった。息子が撮った写真には、そのブルーのツートーンのスカーフの夫が写っている。
秋田は結構遠かった。
盛岡から分岐して、軌道が在来線になってからが長かった。もしかして飛行機で行くべきだったかもしれない。行きはともかく、帰りは「本当に死ぬかと思った」と夫は後で言った。
退院して2日後の長時間の移動は気が狂っていると今は思う。調子もいまいちで、秋田駅に隣接するホテルにチェックインすると部屋で休んでいるという。私は息子と二人で、試合会場に下見に行った。
ホテルの入り口を出て駅前のロータリーに向かうと、今日の試合で負けて帰ってきたらしい、剣袋を下げた男の子と母親らしい組み合わせがバスから降りてきた。
秋田駅の上の空は澄んでいて、明るい秋の日差しだった。駅の広告看板に秋田美人の顔のアップの写真があった。空気が透明な美しいところに来たと思った。
とろが走り出したバスがびっくりするぐらいがたがた揺れた。道路が悪いのか、バスが古いのか。「気持ち悪い」と子どもが訴えた。私は、バスが古いんだろうと結論付けた。
バスはお城のお堀の脇を通り、海の方向へ向かっていった。
体育館にバスが停まって、私たちが降りると、遠くに虹色のパラソルが開いていて、そのパラソルの下でおばあさんが何か売っている。(あとでそれが「ババヘラアイス」というものだと知った)。
そういえば、さっきバスから見た街角にもいたような。
体育館の敷地は広くて、コンクリートの照り返しがギラギラしていた。おばあさんのところまで行くのがちょっと億劫だった。そして体育館で知り合いに挨拶したりして出てきたら、もうババヘラアイスはいなかった。