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未亡人日記36●手のひらの旅
手のひらをまじまじと見つめている夫に、なにかただならぬものを感じて
「どうしたの?」と私は聞いた。
「うん、なんか見てる」
と、夫はいったんだったか、
「うん、変な感じがする」といったんだったかもう忘れてしまったが、
私も夫の手のひらを見てみた。
傷があるとか赤いとか腫れているとかそういうことではない。
手相観みたいに逆サイドから夫の手をのぞき込んでも、いつものふっくらしたたなごころの、特に変わった手のひらでもなかったので、そのときはそのままになってしまった。
入院しているときで、病室でのことだった。もういつの入院の時のことだったかは思い出せない(夫は全部で11回入院した)。でも最後の2回目ぐらいじゃなかったかと思う。
夫が亡くなった後、それは「手がかみ現象」と呼ばれるもので、一部ではよく知られた、寿命が来た人がとる行動のひとつらしいというのをWEBで読んだときはびっくりした。
いったいなににプログラムされて人はそんな行動をとるのだろう。
その一部の人というのは、看護や医療にかかわる人たちだ。手のひらに自分の人生が映っているという訴えをする患者がいるというのだ。走馬灯のように、というたとえはよくあるけれど、夫の手のひらにも、夫の人生が映っていたのだろうか。
夫が自分の死が近い夢を見た、と言いだして夫婦で泣いたとき。
私は何か言わなければと、必死だった。夫を慰めるつもりで、「一緒にあっちこちいったよね、パリにも、ハリーズバーにも、モントリオールにも、香港にも誕生日に次郎にも行ったよね」と言うと、夫ははっとして自分に言い聞かせるように「そうだよな、いろいろなところにいったんだよな」と遠くを見て記憶を反芻するかのように。
人が一人ではなく二人という単位になって、どこかに一緒に行く(行ける)、ことで世界が広がっていく楽しさ。言いながら、あの若いときの「自由」な感じを私も反駁していた。
待ち合わせをしなくていい、今日も明日も別々の家に帰らなくていい。土曜の朝目覚めたときの幸福感。(ああ、今日も一緒にいられる)
★★★
新婚旅行はなんのためにあるのか?
多分どちらかが死ぬとき、行ってしまう方にも置いて行かれる方にもすこしだけ心を穏やかにする処方箋として作用する。
あの旅から始まって、いままで一緒に旅をしてきた。
その後起こるだろういろいろな人生の出来事から振り返るとき、あのピュアともいえる出発点が光って見えてくるんだ。そしてそのK点を通過しつつある今を。
病めるときも健やかなるときも死が二人を分かつまで