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未亡人日記70⚫️天空都市にて


川沿いに電車は走っていた。

どっちが川上なのか、意識してみていなかったが、だいぶやまの深いところに来ているような風景だ。たっぷり流れている川。

知らない路線に乗るとドキドキする。でもそれは嫌ではない。線路はどこかに続いていて、日本はどこにでも人が住んでいるから。多分。

西日がきついホームに降りると、大きな天狗の面が真っ赤な顔で出迎えてくれた。

お城までバスで行けるかな? そばまで行ければ、歩いて行こうと思って、路線バスに乗るとき運転手に聞いた。市役所前で降りてください、と言われる。スイカが使える。乗る時にタッチして、降りるときにもタッチする方式。

バスはぐううーっと持ち上がるようなGをかけられて、斜面の道路を這うように登っていく。天空都市に向かっている。

この坂は一度走ったら体感で絶対忘れない。見下ろす風景も印象的すぎる。というわけで、夫の運転でこの道を通ったことがあることをバスの中ではっきり思い出した。老神温泉に家族で行った帰りだ。まだ子供は二人しかいなかったな。

「ここ、ここで降りて、道なりに少し戻ってください、そして右!」と

運転手は市役所のバス停につくかつかないかのうちに私に口頭で道案内してくれる。恐縮してバスを降りると、降りた途端、おばあさんに話しかけられる。

「 ◻︎◻︎ は、どこですか?」

と聞かれた気がして、 ◻︎◻︎  は全く聞こえなかったが私は適当に

「あー、わたし、この辺の人じゃないんですよ、旅行者なんでわかりません」と返事をした。するとお婆さんは

「どこいくの?」というので

「お城です」

「ちょっとあるわよ、案内してあげましょう」

いやそれは、と断ろうと思ったのだがお婆さんは重ねて

「私も向こうに行くと言えば行くのよ」というではないか。私に「 ◻︎◻︎はどこ?」って聞いてなかったか? と少しだけ思ったが、まあいいか、と思い案内してもらうことにした。

 お婆さんは87歳なのだという。

そして坂下の駅の辺りからお嫁に来た。そもそも、高校は毎日この急すぎる坂道を上って通学していた。「だから丈夫なのよ」というので「米寿ですね」というと。お婆さんは一瞬「米寿? ああ、そうか、米寿だわね」と自分の中を確かめるようにいう。

「この坂道と写真撮ってあげる」というので、スマホをお婆さんに渡す。人によってはスマホは使えない世代でもあるが、お婆さんは普通にスマホで写真を撮ってくれた。

田舎町の風景は日本全国共通なものがある。閉まっている店、西日、車通りはあるけど、人が歩いていない街。線だけが引いてある、鋪道のない細い細い歩道。そこを二人で歩いている。

教会の尖塔がある。幼稚園と一緒になっているようで園庭がある。

その脇を通り過ぎる。

しんとした田舎町で、寂しくないと言えば嘘だけど、でも87歳になって、こんなに元気に歩いて、他所から来た旅行者を道案内してくれるというお婆さんの老後は、なかなかに幸福なのではないだろうか?

今は病院で寝ている実母のことを思う。そして私は87歳の時一体どうしているのだろう、と想像せざるを得ない。

多分西日のせい。


お城まで来た。

分かれ道でお婆さんは

「私はこっちに行くけど、あなたはこっちに行くのよ」と言った。


夏の終わりのミンミンゼミの大合唱の中を、私は歩いて行った。


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