未亡人日記●24 「池之端の夜」

池之端の夜上58のバスに乗る。
このバスに乗るのは久しぶりだ。このバスで病院に通っていた。
夫の入院は12回で通院は足掛け3年だった。
「次は池之端4丁目」というバスのアナウンスにドキドキしてくる。
もう夫はいないのに。

暗い池の前でバスを降りると、左手に交番。信号を渡るとミニストップがあって、その脇の道を歩いていくと病院の坂。
私は振り仰いで、坂の上の病院の窓を目で探す。
あえて想像してみる。夫はあの丸い窓の病室にいる。私は今日は病室に行かず、食事会に行くのだ。
なんてね。

暗い池の右側の歩道を歩いていく。池の上に秋の半月が出ている。
縁石のようなところにしゃがんで何やら食べている人がいる。
ざあっと風が吹く。

夫とは、不忍池の周りを時々散歩した。病院に届けを出して、点滴のガラガラを引いていたこともあった。池の周りの植え込みにアジサイが咲いていたので、あれは6月だったかもしれない。手術のあと。正確に言うと、お腹を開けたのに、手術が適応できなくて、そおっと閉められた後だったかもしれない。このあとどうしたらいいのだろうかと、ふたりとも途方に暮れていた。

ざあっと風が吹くと、私の右側は空虚だ。いた人がいなくなって、その虚無に慣れてくることはない。いったいどこに行ってしまったのだろうと思うばかりだ。
月が私の左側からずっとついてくる。

信号を渡ると急に道は明るくなって、ギラギラしたホテルの看板の前に今日のめあての老舗があった。
夫と私の恩人と言うべき人たちとの会食で、キャンセルした人のおかげで私は予約の取れない店で棚ぼたの御相伴にあずかるのだ。

日本家屋の2階。部屋はいくつかあるが、個室ではなく入れ込み風。畳の上に腰を下ろすと、白く熾った炭が運ばれてくる。とたんに顔が熱くなる。
「夏でもエアコンないからね」と編集長は言って、ジャケットを脱ぐと半そでシャツだった。

クラクラと鉄鍋が湧いて、彼が取り箸でネギと、薄く切った焼き豆腐を入れてくれる。
鶏肉を入れる。あくがでない。シンプルな鍋の汁は澄んだままだ。
「これはなんですか?」
「これは、マメ。そういうこと言うと嫌がられるのよね」と形を確認したドクターが笑いながらマメを取り皿に取る。
具は豆腐と鶏とネギのみ。いさぎよいシンプルさが江戸っぽい。

とんとことんとこ、と、階下で包丁の音が聞こえていたその主、鶏のつみれ用の皿が現れた。ひたすらになめらかなペースト、その中に沈んでいる黄身とよく混ぜ合わせて、木のさじでそっとすくって、できるだけ丸めながら、クラクラの鉄鍋に落としていく。少し長めに火を通して、食べごろになったら皿にとる。熱い、ふんわりしたつみれの食感。
お酒は白鶴の冷酒。少し曇りガラスの風合いのおちょこ。

隣のひっそりとした家族が帰ってしまったので、私は「永井荷風的空間」と言いながら、携帯で簡素な畳と障子の空間写真を撮る。
編集長が
「そういえば『剣客商売』を全部読み直してるんだけど、この辺も舞台だよね」という。
「剣客商売」とか「御宿かわせみ」とか、夫が読んでいたなあと思い出す。子どもの一人の名前は、夫が愛読書の主人公からつけたのだった。

気が付くと隣の部屋も人の気配がなく、私たちだけが二階にいるようだ。
音楽のない空間。
私たちの話す声だけ。
まだ九時前なのに、真夜中のようだ。
小声にしているつもりもないけれど、私たちの声もひっそりしてくる。

人は死んだらどこへ行ってしまうのだろうか。

窓の外、通りを渡ると暗い池が横たわる。
ひっそりした池之端の夜。


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