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未亡人日記69●「蝋人形の館」

がん患者のオフ会と聞いて、がんに関係ない人たちはギョッとするんじゃないだろうか。

私ががんなのではなく、夫ががんなのであるが、私はその会に参加することにした。

当時ブログを書いていて(最初はただの趣味のブログだったのだが、そのうち夫ががんになってしまい、必然的に闘病に並走するブログになった)、数々のがん患者のブログをフォローして読み漁っていた。「どこかに夫を救う方法があるのではないか」と、思ってあらゆるものを読んでいたのだが、どのブログも、たいてい主人公の死で終わっていた。ある日突然更新が途絶えたり、配偶者や家族の「生前のお付き合いに感謝します」という文章だったり、たまに「死後に予定投稿」される本人の謝辞もあった。


私はがっかりしていた。

どこにも救いはなかった。夫もやがて死ぬのだ。

(もちろん、私だって、そのうち死ぬんだけど、その時はそういうことには思い至らない。)

そんな中、新しくブロ友になった男性とは、子供の数が同じだった。夫と同じ部位のがんで、年は夫より10歳は若く、本と音楽の趣味がよく、文章がうまかった。そして行動的だった。

この部位のがんは統計的にいうと、分かった時点の5年生存率は20%以下だった。夫は2年を越したぐらい、彼はほぼ1年未満だったのではないかと思う。

やや希少がんであると同時に予後が厳しいため、ブログの世界でも「友達」(がん友。しかし夫のがん友ではなく、私の)が少なかったのに、当日は8人も集まったのは、彼の魅力的な文章と行動力のおかげであった。彼は治療を目的に上京し、そのついでにオフ会を計画したのだった。


私は夫にオフ会に行くことを言わなかった。私のブログを読んでいることを知っていたので、ブログにも書かなかった。

オフ会の会場と、その時夫が入院中だった病院とはほんの一駅しか離れていなくて、病院の脇をバスで通って、やや後ろめたい、ひみつの気持ちで会場の居酒屋に行ったのだった。


JRの駅から程近い、小さい飲み屋が肩を寄せ合っているごみごみした通りに目指す店があった。知らなければ絶対入らない店だなあと、尻込みする気持ちもあった。入るとさらにその気持ちが増すのは、カウンターでぎゅう詰めでも6人ぐらいしか入らないような(だから今回は定員オーバー)、トイレに立つときには「すみません」と座っている人の背中と壁の間をすり抜けないといけない狭さだけではなく、店の中に充満する猫ちゃんたちが源と思われる強烈なアンモニア臭のせいでもあった。猫ちゃんたちは2階に生息していて、私たちの滞在中は、さすがに店には降りてこなかったが。

なんでこんなマニアックな場所にしたのか? 東京に土地勘もないのに? という質問には、彼があらかじめ自分のブログで答えていた。

「ママさんが、がんサバイバーなので。パワースポットです!」


初対面からプライベートを喋り合うというのはSNSである程度お互いのことを知っているからかもしれないが、私が実際読んでいたのはオフ会主催の男性のブログのみで、他の出席は者初めて会う(当たり前だが)人ばかりだった。がんの当事者もいたし、私のように配偶者ががんの人もいた。年代もバラバラ。隣りの席の、私より数歳年上の女性と話して、彼女はもう3年を越すぐらい、病気と共存していて、仕事も続けていることが分かった。人によるのだなあ、羨ましいなあ、と密かに思っている私。


夏だったせいでみんな谷中生姜を頼んだ。

苦手な人は「からい」とか言い、それでみんなが笑ったりした。ブログを教え合って登録したのは、店を出た後かもしれない。


もわっとした夏の夜の熱気の中、お名残り惜しい感じになり、二次会に行こう! となったが出席者が誰も店を知らない街だった。気の利いた人がカラオケを提案した。いいねいいね、と早速通りにあったカラオケ店に入る。さっきのアンモニア臭ただよう狭い空間から解放された私たち、10人以上は入れそうな広いカラオケルームで一息ついた。

そして改めて自己紹介を回して、この貴重な機会を逃さじとばかり、コの字型のソファで喋りあった。この連帯感はなんなのだろう、嫌な気持ちがしない空間。そして解放感。病を得ていること、病を得た配偶者がいること、それを表立って言えないことはこんなに普段の私たちを抑圧しているのか。

カラオケなのに誰も歌わないでしばらくワーワー喋っていたが、一通り喋った後、ちょっと歌いますか? の流れになり、歌の上手い男性が聖飢魔IIの「蝋人形の館」をうたった。

大ウケだった

「お前も蝋人形にしてやる!」
という芝居っけたっぷりの決め台詞を、なんだか笑えない気持ちで聞く自分がいる一方、いや、これは笑っていいのだ、と思う私もいた。


そんな真夏の夜の夢のような時間が過ぎて、最寄りのJRの駅までみんなで一緒に帰った。お土産を持参してくれた人が何人もいて、新しい紙袋を下げた私は、おそらくひとまわりも年下の、ハイライトに白いメッシュを入れたショートヘアがよく似合う女性とハグしあった。


彼女は、その後にブログのコメントで私が薦めたデビッド・ボウイの流れる「汚れた血」の映画のシーンを気に入ってくれて、音楽話のやり取りを何度かしたりした。しかし、彼女のブログは程なく消えてしまった。ブログが閉鎖されたのは、おそらく、何度かブログに登場していた「彼ピッピ」が、きちんと処理をしたのだなあと思って私は見ていた。

オフ会主催の男性は、自分の予後の方向感をキャッチして、最後のブログを相変わらずの明るい筆致で書いた後、会社の大事業に抜擢されたので、もう、ブログを書かずにそちらの仕事をすることにしました、と結んでいる。ブログはそのあと、更新されていない。子どもたちはどうしたのかな? と、私は遠くから思っている。

私の隣席だった女性は、だいぶ頑張ったと思う。最近見に行ったら、最後の更新がごく最近だった。最近と言っても、1年以上前だけど。あと●ヶ月頑張りたい、と孫の行事に参加する未来のことを記述していた。


戦場でなくても、死はいつも生と隣り合わせにある。ごく普通に。


うん、でも天国だって、生活のすぐ隣にあるしね。


次々と旅立っていった人たちのことを私は忘れない。


夏の夜の熱気を感じる季節になると、蝋人形の館の一夜を思い出している。




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