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夏休みの蹉跌

夏休みの蹉跌――小説
 夏到来です!虚士(きょし)が小学4年生(昭和34年)の夏休みの話です。
虚士は自宅から250m程の浅海(あさみ)分校に通学していました。明日から待望の夏休みと言う日、学校へ行くと皆んな浮き浮きとしていつもより声高に話していました。朝の掃除も、はりきって短時間ですませました。全分校生が校庭に集合して壇上から分校長先生から夏休み期間中の過ごし方等のお話がありました。
 
 そのあと、教室で担任の豊畑先生から、虚士にとってはたくさんの宿題が配布され、登校日とラジオ体操の話があり、最後に「皆んな元気に過ごそう、解散」の言葉で夏休みが始まりました。
 
 虚士にとって宿題がたくさんあるのは苦痛でしたが、40日間も休みが続くので最後の10日もあれば大丈夫と思い、遊ぶことだけに集中しました。
 早速、その日も走って自宅へ帰り宿題は放り投げ、パンツ一枚になり、すぐ下の平瀬に行ったが、干潮で海水がなく沖の波戸をめざしました。

 沖の波戸は、丸石を投げ込み、外側を丸石で積み上げ整備しただけのもので、飛び石状態での移動が必要であり、おまけに先端に行くに従って低くなってついには海中に没していました。それでも子供達にとっては、石と石の間の穴で ”あらかぶ” を釣ったり、牡蠣を叩いて食べたりと遊び場にもなっていました。

 干潮だったので、波戸の先端近くまで飛び歩きすると、既に子供3人泳いでいました。虚士の気持ちははやり、波戸の外面石より内側から、足から飛び込めばいいものを、格好付けて頭から一気に海へ向けて飛び込みました。
 
 その瞬間、右足がどこかに接触した感覚がありました。着水して泳いでいましたが、気になりすぐ波戸の石に上がりました。右足を見ると、脛に親指大の白いものが見えます。どうも皮膚がとれて骨が露出しているようです。
飛び込んだ先の石を見ると、牡蠣がくっついているのが確認できます。これに接触したのでしょう。まだ痛みは感じませんでした。
 
 急いで自宅へ帰ったら、昼飯の仕度をしていた母が即座に、分校近くの診療所へ連れていきました。
 内科が専門の医者でしたが、当時の田舎の先生は何でも出来ました。が、傷口を見て、「これは肉がなくなっているから縫われん。時間がかかるけど、自然に直すしかなか」と言い、消毒して包帯で巻いて、化膿止めの薬を出してくれました。この頃から、じわじわと痛んできました。
 
 結局、その後この夏休みは一度も泳げませんでした。陸上でも激しい遊びはできず、かといって宿題を頑張った記憶もありません。
 それだけではありません。学校でこの夏休み明けから始まった、ソフトボールの練習に参加できず、いまだにキャッチボールが下手なのを(自分の運動神経の鈍さを棚に上げて)この夏休みの失敗のせいにしています。いまも脛の傷を見るたび忸怩たる思いがよみがえります。
      終わり
(この話は実話に基づいていますが、細部の記憶が怪しいので”小説”としました)

虚子少年の生活圏

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