中学受験における「自己肯定感」について

 以前、「自己肯定感」についての記事を書いたことがあります。

内容は、「正直、よくわからない」「だから、あまり使わない」というものでした。ただ、最近は何となく「こういうことなのかな」ということを思うようになったので、今回の記事ではそのことについてまとめていきます。

 以前の職場では、わりと最難関校を受験する子達と接することが多かったといいますか、むしろそういう子の方が多い環境にいました。その環境で重要だと思っていたことがあります。それは、

「どこの学校に進学したって、大丈夫」

ということです。上位クラスの子達を指導しているとき、事あるごとに叩いていた軽口が、

「別に、どこの学校でもいいでしょ。だって、努力さえしていれば、どこにいようと人生は良くなるんだから」

というものです。それは、上位クラスになればなるほど伝わったものです。

「だからさ。とりあえず、目の前の問題に対して一所懸命になっていれば、自ずと良くなるもんだんだよね」
「悩んでいる暇があれば、目の前のことを一つ一つやっていれば良くて、それで成績が出てれば、とりあえず良いわけ」
「どこの学校に進学したとしても、結局は同じことが待っているから、『どこに行くか』よりも『何をするか』が大切で、突き詰めるとそれしか残らないんだ」

というようなことを話すと、上位クラスになればなるほど納得してくれました。今思えば、それを理解できるから上位クラスにいれたのではないかと思うくらいです。

 こういう話をすると、「そりゃ、筑駒が開成になっても」とか「桜蔭が豊島岡になっても」などと思われるかもしれません。そういう面もあると思います。ただ、現場感覚で言うと、

「別に、どこの学校でもよくね?」

っていう心持で勉強できる子が最強だった気がします。成績やクラス、志望校に関係なくです。それを理屈で理解できている子が強かったです。「鳥か卵か」のような話なのですが、それでも心持が先にあると感じています。今思えば、それは「自己肯定感」だったのではないかと思う次第です。

 逆に言うと、学校の名前を気にしている子の方が苦しんでいたと思います。子供たちの中には、「良い学校に入れなければ、受験勉強の意味がなくなる」という話をする子がいます。そういう子に「なんで?」と聞いても、本人もよく分かっていません。そういう子には「学校は、どこでもいいよね?」という話をしても伝わりづらいです。クラスが下がれば下がるほど、そういう傾向が出てきます。「この学校じゃなきゃ、自分が否定されてしまう」という恐怖を抱いている子になればなるほど、あまり良い結果にならなかった実感があります。

 子供は、想像している以上に大人のことを見ていて、子供の目の良さには驚かされることがあり、また学びにもなります。「そんなつもりで言ってないのに」と思いながらも、子供には別の伝わり方になっていることなど日常茶飯事です。
 たとえば、頑張っていることを誉めたいと思っていても、それは成績のことや学校のことを誉めているように伝わることもあります。「こういう学校に合格した子は、こういう努力をしていたよ」というような話をしても、それが「こういう学校のこういう子じゃなければダメだ」と否定されているように感じる子もいます。そんなつもりはなく「だから、今から自分を変えて頑張れば」というつもりでも、それが伝わらないことがあります。そんなとき、自分に全く学歴主義的な価値観が無いかと言われれば、それを全否定できないところもあり、それが自分の表現の中ににじみ出てしまっているかもしれないと、反省することも少なくありません。

 だからこそ、こちらが伝えたいことをポジティブに理解してくれる子には、講師側が救われています。入試問題の国語の文章を読んでると、おそらく学校の先生もそういう子に来てほしいのだろうと感じる文章が多いです。「隣の芝生は青く見える」もので、環境は自分の認識一つで「都」に変えられます。その環境が「都」かどうかではなく、どんな環境も「都」に変えられる哲学を有しているかどうかを試す国語の問題は多いと感じています。

 そのポイントになるのが、

「どこに学校に進学しても、自分の人生は変わらない」
「自分の人生は自分の努力次第」

という絶対的な自信の有無です。「確固たる自分があれば、学校の名前は重要ではない。」そういう感覚が、中学受験においては「自己肯定感」と表現されるものではないかと、最近思うようになりました。そして、その感覚を有している子の方が、かえって良い結果を出していたように思います。

 そんなことを考えていると、頭の中でリフレインするのが、DJ KRUTCHの「ひとつひとつ Pt.2 feat.LIBRO,DAG FORCE,鎮座 DOPENESS,句潤」です。

本質は普遍的に当てはまるもので、中学受験といっても「中学受験」でしか語れないわけではありません。だからこそ、中学受験とは全く関係ないところにある本質の方が、かえって中学受験を語っていることもあるものです。そんな中で、この曲は中学受験を体現していると感じています。最初から最後まで中学受験で噛みしめることができると思いますが、特に句潤のリリックが至高です。

あーすれば良かった こーすれば
良かったなんて通り過ぎた結果
昨日までのテメーとさらばするならば
希望抱いて明日へ向けPlayer
暑さでやられた脳みそも寒さで縮こまる体も
何処の誰かが何を言おうと
大切な一個捻じ曲げりゃ負けだろ?
笑いたい奴にゃ笑われてりゃ良い
うるさきゃ行動黙らせれば良い
生きた1日が積み上がり日々
それが武器変わり突き刺すLyric
悔やんで後悔も時としてバネ
それを理由で止まるなら雨
一つの心で気分は晴れ
故に眼に映る虹かかる理由

DJ KRUTCH「ひとつひとつ」

あくまで私の感性に過ぎませんが、これほどまでに中学受験において大切なリリックは無いのではないかと思うくらいです。できれば、全ての中学受験生に届けたい一曲で、句潤のリリックを御守りにして頑張ってほしいです。

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