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【備忘録 #05 (前)】入院記録 2022年

7度目の月命日が近づいてまいりました。
多発性骨髄腫の治療における弟の入院記録を残しておきます。
タイトルが「入院記録」なのは、弟が受けた治療の詳細を兄である私自身が把握しきれていないためです。できるだけ当時の記録・記憶を紐解いて記しますが、間違っている部分があるかも知れないことをご承知おきください。
保険請求のために私がまとめた資料と、弟の X (Twitter) から引用して記します ( じぃの🍋🍒 @TheBow_Z )。

弟は初期診断の段階で染色体異常が2つ、移植前の入院中に3つ目【del(17p) , t(11:14) , 1q gain】、再発後に4つ目【Myc】が見つかるという極めて難治性の症例だったので、多くの患者さんはこんなに多く入退院をすることはないのかな? と思うこともあります。あくまで「弟の場合」の記録です。


2022年

4月18日 ~ 5月12日 (25日間)

"昭和大学 横浜市北部病院 (神奈川県横浜市都筑区)"。
多発性骨髄腫の確定診断とともに、体の痛みや痺れの原因が「溶けた骨組織が腫瘍となって神経を圧迫している」からと判明。そのまま放置すると突然の呼吸停止や下半身麻痺などの重篤な状態になる恐れがあることから、緊急入院の上、放射線やステロイドで腫瘍を小さくする・投薬で骨を丈夫にする治療を開始。
4月18日は朝から父兄で付き添い。
確定診断を電話で母に伝えたときに聞こえた嗚咽と、夕方、車椅子上でうなだれながら病棟エレベーターへ入っていった弟の後ろ姿は、生涯忘れることはできないと思います。

放射線治療は奏功して神経圧迫している腫瘍は小さくなり、退院時には痛みや痺れを訴えることはなくなっていました。
介護用品として車椅子をレンタル。

5月16日 ~ 6月7日 (23日間)

前院では多発性骨髄腫の本格的な治療 (自家移植) は出来ないので、前院 主治医のお話や弟本人の意向により、多発性骨髄腫治療に実績のある"日本赤十字社医療センター (東京都渋谷区)" へ転院。以降の入院はすべてこちらにお世話になります。
外来初診でそのまま入院となってしまいました。

この入院中から「レブラミド」服用開始、BRd療法。

この入院中に「頸椎装具 (オーダーメイド)」を製作。¥61,580- と高額ですが、健康保険に申請して数割負担で済んだと記憶しています。

弟の画像フォルダから

この入院中、車椅子から歩行器、そして手すりにつかまりながらの歩行が出来るまでに回復。院内コンビニまで行くことも許可されるようになりました。レンタルした車椅子は返却。

6月14日 ~ 6月22日 (9日間)

抗がん剤のアレルギー反応観察のため2泊3日の予定で入院。
入院時に皮疹が多くアレルギー反応が分かりにくいとのことで、皮疹が治まるまで抗がん剤投与は延期。
9日間の入院となりました。
DKd療法開始。退院後、外来での化学療法室通いが始まりました。

8月8日 ~ 9月1日 (25日間)

外来でのDKd療法の効果があまり出ていないので、入院してVTD-PACE療法開始。
食欲が落ちて病院食が食べられなくなったり (特に魚料理の匂いがダメになった)、血液内数値が低くなっているところに足の爪から常在菌に侵入されて高熱出たりと、入院期間は25日間となりました。
退院時に私が迎えに行き「帰りに食べたい」と言い出したものはこちら👇。

9月8日 ~ 10月11日 (34日間)

VTD-PACE療法2クール目。この入院中に血球数値が戻るタイミングで自家移植のための造血幹細胞採取を予定。
入院に向かう車中でエアコンが故障するというハプニング (この時点で11年乗った車でした)。

【9月15日】
難治性のため、一度目の自家移植後の容態によってはCAR-T療法 (アベクマ) での治療を行う方針となる。
【9月26日】
右足の付け根にカテーテル挿入、造血幹細胞の採取。

この入院での目的を達したので、この後の X のポストや家族とのやり取りは暢気なものになりました。

造血幹細胞採取の後CRP値 (体内の炎症反応) がなかなか下がらず退院は先延ばしに。10月11日午前中に「今日退院できるから迎えに来て」とのことで退院。

10月24日 ~ 11月25日 (33日間)

いよいよ自家移植のための入院。
この入院はバイオクリーンルームとなります。

【10月25日】
骨髄穿刺と、首にカテーテルを装着。
【10月26日】
前処置の「アルケラン」大量投与。
【10月28日】
自家移植、輸注開始。1時間かからずに終了。

【11月2日】
初めて輸血 (血小板) を受ける。

【11月7日】
移植から11日目、生着。
前日に母が差し入れたシュークリームも許可が下り、食べられるように。

【11月10日】
移植から14日目。部屋から出る許可が下りる。

【11月15日】
移植から18日目、生着9日目。首のカテーテルが抜け、栄養は左手から点滴。
口から食事がとれるようになり、下痢が治まったら退院の方針。

【11月17日】
バイオクリーンルームから一般の大部屋に移動。
炎症反応が下がってきたら退院とのこと。
【11月25日】
退院、33日間。

いつも前向きで闘病の辛さ・苦しさを訴えてこなかった弟も、自家移植は相当に堪えたようです。
この後は休薬期間となり、年明けIsaPd療法導入のための検査入院までの短い期間、年末年始の時間を過ごしました。

まとめ

2022年の入院日数は合計「149日」でした。
一度目の自家移植も無事に終わり、未来への展望に明るさを感じる時期でもありました。
ここまでの経緯は、他の患者さんとそれほどの違いは無いのかな?と思います。

抗がん剤のレジメン

弟が受けた抗がん剤治療のレジメンを記載しておきます。
レジメンの紙の束があったのですが、書類整理の時にまとめてシュレッダーしてしまったので、弟の X のプロフィール画面からの引用となります。

BRd・・・・・:1クール
DKd・・・・・:2クール (外来)
 ※ 効果があまり見られず、入院して以下に変更
VTD-PACE:2クール
 ※ CAR-T (アベクマ) の打診を受ける (2022年9月)
 ※ 一度目の自家造血幹細胞移植 (2022年11月)
IsaPd・・・:2クール (外来)
 ※ 急激な増悪、再発
VTD-PACE:2クール
 ※ CAR-T 断念、二度目の自家移植へ (2023年6月)
DKd・・・・・:1クール (外来)


弟の X (Twitter) からの引用が多くなりました。
多くの多発性骨髄腫の患者さんが気になる「自家造血幹細胞移植」に関して引用しきれていないポストは、
" 弟のポスト 2022/10/24~11/25 までの期間 " または
" @TheBow_Z since:2022-10-24 until:2022-11-26 "
で検索すればご覧いただけます。

長くなってしまうので、2023年分は後編にまとめます。

🤓最後までお読みいただき、ありがとうございました😇

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