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頭ゆるゆるアウトプット【エッセイ】

テキトーに文章を書きてーーー!!!固い文章ばっかで俺のnoteつまんねーーー!!!

と思ったのでテキトーに文章を手癖に任せて書いてみることにする。誤字脱字だけ後で見返そう。って書いたけどこういう事を書いてしまう自分の真面目さが気に食わないという話なんだよ。

最近「口語文」の対義語が「文語文」である事を知った。それぞれ話し言葉と読み言葉で書かれた文って意味ね。私の文章は文語文が多いから口語文で文章書きたいなって思ったわけよ。

多分、文語文で書かれた本とかnoteばっか読んでて頭硬くなってんだなって思ったよね。オモコロの記事を読み漁ってた頃の私が今まで投稿した私のnoteを見たら絶望すると思うね。つまんないって。

オモコロの様にぶっ飛んだ内容の記事は流石に書けないし、書けたら書けたで何かを失っていそうなのでその文体だけ見習おうかな。

さっきから語尾を「〜だ」とか「〜である」と入力してから口語文に書き直してて嫌になる。指に文語文が染み付いてる。矯正してえ。

友達にlineを書く様に指を動かせばいいのかな。それならやりやすいかも。
でもこれを読んでるあなたたちを友達感覚で扱うことは失礼な気がするって思ったけど、ここにきている人たちって私みたいな一般人が趣味で書いた文を読みにきてる変な人だからいいか。金払ってでも本を買ってプロの成果物を読めよ。だからいっかどんな扱いしてもな。

流石に今のは冗談だけど、距離を私自ら空けてしまってるのは本当だと思う。

noteを書く時にもっと熱を持ったほうがいいのかも。今までの文章は冷静すぎたかもしれない。悪い意味で「誰にみられても恥ずかしくないもの」を冷めた指で書いていた。
熱が大事だ。呪術廻戦の秤も言ってる。熱が大事だって。

ただ、ここで判断力を失ってはいけないとも思うんだよな。推しの子の有馬かなも、確か東京ブレイド編で、一人で大立ち回りするのは誰でもできる、黒沢あかねのような共感力の高い自然な演技は唯一の才能だ、みたいな事を言ってたはず。
ごめん推しの子は読んでるんだけど単行本を友達に返しちゃったから手元にないんだ。まるまま引用できないのを許してほしい。ファンは怒らないで。

暴れ回る、デカく動く、大胆に書く、みたいなののよって面白さは生まれるかもしれないけど、それが本性とか人間性とかではないと思うし、やりたいこととはかけ離れてしまう事ない?
大きな口で歌いましょうが大正解なら全員カラオケで100点取れるしオリコンヒットチャート1位だよ。

余裕を持つ事なのかもしれない。真面目に文を書く事で距離を空けて私は何から許されようとしているんだよ。私のnoteの一番の読者は私なのに、私は私に距離を空けている。

あとは使い分けか。口語文と文語文の。日記とかは口語文でいいけど、感想文とかだと文語文のほうがいいかも。どちらも使いこなすのかー。

使い分けとかいう言葉めっちゃめちゃ嫌いなんだよな。全部できるようになることは個性や特別性や専門性を殺すことだからね。なんでもできる様になりたくない。

過去にテレビで、ミッツマングローブさんが、「全部できる様に努力してみて、その上でできなかったところ、欠けているところが"個性"になる。」って言っててバチクソくらったのを思い出した。なんでもやろうとする"挑戦"は必要だけど、なんでもできる"結果"は思ったよりもいいものではないのかもなと思った。

けど真面目な文章を今後書くとして口語文はあんまり良くないタイミングは来そうだ。そこは冷静に距離を測りつつ、けれど、詰め気味で行ってみよう。

最終、自己暗示的なことばっか言ったけど、今後はもっと自然に、熱と判断力とやる気に任せてnoteを書いていきます。よろしくねー。

あと、ここで名前を出した方々の引用は全て私の曖昧な記憶によるものなので、間違ってた時はごめんなさいねー。

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