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会社の飲み会における立ち回りと、上の世代のハラスメントについて【日記】
最近転職したのだが、その歓迎会が一昨日行われた。
会社の飲み会って行きたくないよねーーーーー。
なんで仕事しか共通点のない奴らを集めて楽しく酒が飲めると思ってんだろうね。各々好きな人と飲んだ方がいいじゃんふざけんなよなー。
まあでも、歓迎会といっているので一応主役は私であるし、次からは断ればいいや、今回だけは無料だし、しゃあなし行ってやるかあ。と言い訳をして向かった。
結論から言うと、そんなにつまらなくはなかった。なんなら興味深い話が聞けて面白いまであった。
序盤は周りにいる人が面白くて助かった。仲いい方の同僚や先輩方が近く、場を回してくれる先輩もいたため、会話に参加しやすかった。
場を回せる人ってめっちゃ助かるよね。しかもかなり平等に回してくれるの。超助かる。やっぱ共通点少ない人らの集まりって、その中でもコミュ力ある人とか仲いい人同士が固まって、そこだけで会話しちゃうから自分だけあぶれちゃうことない?私は結構ある。
そんな中に場を回せる人がいると普段あぶれちゃう人も会話に参加できるから、この場にいていいんだなー、という安心感を得られる。そういう人に私もなりたい。なれるかなあ。もう30前後だけど。
ぶっちゃけあぶれててもそんなに問題じゃないとも思ってるんだけどね。
前職の先輩に、大勢の飲み会で一人でいるのが好きって言ってる人がいたんだよね。
そんな人いるんだ、居心地悪いだけじゃないのかなって思ってその理由を聞いたことがあったんだ。
その人曰く、「自分が一人でいると、同じく一人でさみしくしている人が寄ってきてくれる。自分はそういう人とは話が合うし、そういう人のためにこの場にいるんだって思ってる。」とのことらしい。
いや優しすぎるだろ、聖人か?と思った。実際、めちゃめちゃ優しい先輩だったし、仕事もできてどんな人からも頼りにされてた先輩だから、実力と信頼感と安心感のなせる業なんだろうなとは思う。
そういう人にもなりたいと思う。大人数で集まる場において孤独を感じる人を極力出したくないという気持ちがある。それは自分自身も含めて。独りよがりではなく、場の調和を重んじられる人になりたい。なれるかなあ。もう30前後だけど。
話をもどして、飲み会の序盤は場を回してくれる先輩のおかげでとても助かった。
東海のキャンプ場事情とか、野球のアンダースローは体に負荷がかかるため素人が想像するよりすごいという話や、恋人の実家に挨拶に行くため車で北海道まで行く話などを聞けて面白かった。
終盤は、所長と話をした。
先輩が気を使って「今日のお前の飲み代は所長が出してくれてるから挨拶ついでに話してこい」と私に言ってきた。
内心「余計な気回しすんなよなーーーーー。今盛り上がってくところやんか、そういう挨拶とかはこのままなあなあで終わらせようや、だりいなぁ」と思いつつ、わかりました、と言って所長のもとへ向かう。
何を話題にしようか考えながら挨拶をすます。
思いついたのが、ハラスメントについて、という話題である。
私はメンタルが強い自覚がある。メンタルの強さにもいろいろ種類があると思うが、私の場合は、ダメージはしっかり受けるがすぐに回復するタイプだ。
会社でメンタルが傷つくときって、大体ミスしたときだと思うんだけど、その時私は、やらかしたーーーーうわーーーーー叱られるーーーーーーと思いつつも、ミスを上司に報告して、叱られて傷つくんだけど、すぐに私はメンタルを回復させることができる。
次からこのミスは回避できるから進歩じゃん、なんでできないのとか言われてもできなくて当たり前だろ何でもできると思うな、バカはてめえだ、
などと、メンタルを回復させるための自分なりの理屈屁理屈言い訳論理を持っているからだ。
それでも、私が傷ついていることに変わりはないし、人間だれしも傷つかずに済むならそうあるべきだと考えている。
だから、上の立場の人たちって部下を叱ることや、ハラスメントに対してどう思っているのだろう、また、所長はどういうハラスメントを受けてきたのか、それをどう切り抜けてきたのかがとても気になったのだ。(ちなみに断っておくと所長は50代男性である。)
所長曰く、昔はミスに対するお叱りや、ハラスメントが行われた場合、アフターケアのようなものが存在したのだという。
寝坊で出張先に遅刻してしまったとしても、出張先に何か言われる前に直属の先輩が怒鳴ることで教育をアピールしてその場を収め、その後、叱って悪かったけど遅刻は気つけろよとケアが行われた。
チームの代表として上司に提出した書類にミスがあったときに、代表者を怒鳴ることで、同じオフィスにいる作業中のチームメンバーを間接的に注意する。そしてそのあとに、代表者に対して、お前が悪いわけじゃないのは知ってるんだけどああしたほうが効率よくて、、、といってケアをする。
などといった政治的な要素としての怒鳴りが行われていたという。
また、配送の仕事をしていた時に、疲れてさぼっていたら先輩からどつかれたこともあったが、それに対して逆切れできる関係性の構築ができていた。
だから、なんでもハラスメントとされる現代は少し生きにくい。という。
そういった話を聞くことができた。
それらを聞いて思うのは、現代ではそういったハラスメントを込められた効率的な意味を理解せずに、ハラスメントのやり取りが行われているのではないか、という事だ。
ハラスメントに込められた政治的な意味や、その後のケアなどを理解しないままに、自身のストレス処理の方法としてしかハラスメントを行使しない上司や、意味を理解できずに傷つけられたと嘆く部下が多くなってしまったのではないか。
加えて、そういったハラスメントの横行によって、関係性の構築も阻害されているのではないか、と考えた。
ハラスメントにならないような関係性の構築が大事であるのに、関係が構築される前にハラスメントが行われてしまって距離が詰められない現象が起きているのではないか。
どうしたらハラスメントはなくなるのか、叱ることがハラスメントではなく効率的な運用がされるのか、具体的な解決策はわからない。
しかし、上司に対しても部下に対しても、もちろん同僚に対しても適切なコミュニケーションをとることが大事なのだとは思う。
コミュニケーションとは双方向であることを特に意識したい。
過激な伝え方をするからハラスメントになるのと同様、ひねくれた受け取り方をしてもハラスメントになってしまうのだ。
加害者になりたくはないが、被害者になりたくもない。もっと言うと被害者ヅラしたくない。
伝える力と受け取る力、両方鍛えていきたいですねー。
なんてことを思った飲み会でした!飲み会のくせに難しいことを考えてしまったけど、上の世代の上司からしかハラスメントのこのとなんて聞けないから貴重な経験できたなーと思いました!
それはそれとして会社の飲み会って行く前が憂鬱すぎてそれだけで体力消耗するしお金も消耗するしあんまり行きたくないなという意見は変わらなかったので今後も行きたくないです!
日記からエッセイっぽくなっちゃったし、話がとっ散らかっているだろうに最後まで読んでくれた人に感謝!
お酒は楽しく飲みましょーね!