両輪があって進める
唐突ですが、私の夢の一つは
今現在、社会で生きにくさや苦しさを感じる人たちがいたなら
その人達が社会の真実に気付いて、その人らしく生きることのできる道を見つける
そのために
何か、どんな形でも、役に立てる人間になることです。
さて
今日は、障害受容に関してお話しします。
タイトルの『両輪』とは、今回の場合、「社会」と「個人」を指します。
(福祉制度についての細かい言及は、私自身、知識が不十分ですし自治体によってかなり違うので今回は省きます。)
障害というものを、人がどう考え、どうとらえるかという、心理的な面から私の意見を書いていきます。
(きちんとお話しするには、本一冊ぶんくらいの分量の文章が必要なので、不十分な表現も出てくるかもしれません。今回はごく簡潔に書いていきます。申し訳ないですがご了承ください。)
私の経験からひもといていきます。
私の大学の専攻は特別支援教育でした。
両親が教員だったこともあり、母がたくさん所有していた教育関係の本を、(漫画などは小学生の頃から)よく読んでいました。
両親は、もともと普通学級の担任をしており、その後、養護学校や聾学校でも経験を積み、今の言葉で言う「特別支援教育」について、知識や考え方をしっかり持っていました。
私が通った大学の専攻でも、志を高く持って学ぶ友達が多く、知識や経験、教育と福祉への自分の意見をしっかり持っている人に囲まれていました。
私にとって、特別支援教育に関する知識を持っているということ自体が、ごくごく当たり前のことでした。
今考えると、現代の日本においてはまだ、これはとても特殊な状況だったようで
びっくりしたのは、学校現場に出たときでした。
現代の日本社会では、特別支援教育に関する、正しい情報や知識の
供給量が極端に少ないのです。
私が学生時代に一番興味があったのは、障害理解という科目で
差別撤廃や、障害受容はどうやったら実現できるだろうと
ずっとずっと
それこそ保育園の頃から、大学を出て教師になり、職を退いた今でもなお
調べて、仮説をたて、考察して、問いかけ続けています。
結論から言いますが、本当の意味での障害受容は(特に日本において)以下の2つが必要だと私は考えます。
・日本人が営む社会の仕組みの、根底にある性質を理解した上での福祉制度と考え方の改善
・家族などごく身近な人を含めた本人(が可能であれば)の心理を理解し無理なくひもとき、その人自身を受け入れる素地を少しずつでも作っていく
つまり、前者「社会」と後者「個人」を両輪として、進んでいくことが必要ではないか
ということです。
社会だけに疑問を投げかけても
個人だけでなんとかしようとしても
どちらか片方だけ、それでは社会における考え方や制度改善の有効な手段とは言えない
と、いうのが私の意見です。
これ以上はまた長くなるので、今日は、ここまで
ここまでお読みくださり、ありがとうございます😊🙏
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ーオマケー
大学生だった2008年頃にはまだ少なかった特別支援教育に関する本は
(当時は図書館に行っても、種類が少なかったことを覚えてます)
書店によってはコーナーができ、書籍も増えました。
大事なことは、ただ本が増えることだけではなくて
困っている人が
必要な情報を、負担なく手に入れられる状態かどうか
ということです。
困っている人に
欲しい知識がきちんと手元に届く社会になりますように🙏