スッポンと又兵衛
スッポンを1度食べてみたいと思っていた。妻が調べたところ、耶馬渓にスッポンのコース料理を安く食べさせてもらえるところがあるらしい。
早速予約をして、いってみることにした。深耶馬渓に入る道を右手に折れ、道なりに進むと、ここがそうかと思われる、普通の民家のような場所に着いた。
なんのことはない、スッポンの割烹料理の店かと思いきや、スッポンの養殖場であった。そこで料理もふるまってくれるらしい。道理で安いはずだ。
しかも温泉付きというので、準備ができるまで、温泉に入ることにした。なかなか見た目は単なるスッポンの養殖場という感じだが、温泉まであるとはたいしたものである。しかし入ってみればなんともぬるい。ぬるいので、外に出たら寒い。12月くらいの時季であったろうか。まるで養殖のスッポンになったスッポンポンの自分がいた。
やっと気づいてもらえて、湯加減を調節してもらったが、広い湯船なので、なかなか温かくならない。しかたがないので、いい加減なところで湯から気合で出た。
部屋はストーブがあり、冷めた体を暖めてくれた。しかし部屋が20畳くらいあるので、部屋自体を暖めることは、すぐには難しそうだった。
ふと窓の外を見ると大きな看板があることに気づいた。というかこの場所に着いた時から気づいてはいた。とにかく目立つ看板だった。「後藤又兵衛の墓」と書いてあり、矢印がある。矢印の先に看板に比べるといささか小さめな墓があった。はかな、いや、ばかな。なんでこんなところに後藤又兵衛の墓があるというのか。
伝承によると、大坂夏の陣で戦死したと思っていた又兵衛であったが、実は死んでおらず、敗色濃厚を知ると逃げ出して、昔の女のいるこの場所まで落ち延びて、平穏な日々を送ったらしい。ところが豊臣秀頼が死んだことを知ると自害したということだ。
なんだか変な話だが、こういう英傑にはこんな話はよくあることだ。今では中津市の観光名所ということになっている。
さて主題のスッポンであるが、最初にスッポンの生き血の酒を飲み、から揚げや鍋、雑炊を頂いた。車で来ていたので、しばらく酒が抜けるまで寝た。本当に後藤又兵衛の墓かは、だいぶ疑わしいなあと思いながら。