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20代の痛い思い出
20代の話である。ホームセンターで仕事をしていた。工具建材建築金物が担当だった。
ある日、2mの胴縁を補充しようとカッターナイフで木材を縛っていたビニールロープを切ろうとしたら、自分の右手の親指の付け根をスパッと切ってしまった。ちなみに僕はサウスポーである。
血がダラダラと流れた。ポーチ下の木材売場のタイル床は血で染まった。もっとも動脈を切った訳ではないので、そこまで仰々しくはないが。
急いで病院に行こうにもこんな手では車の運転は無理だ。そこへたまたま営業に来ていたリョービの若手社員が僕を営業車に乗せて病院へ連れて行ってくれた。残念なことに土曜日の午後だったので、普通の病院はもう開いていなかった。日赤病院の救急に連れて行ってくれた。まだ僕が福岡市に住んでいた頃の話である。
ところが救急というのに外科がいない。産婦人科の先生がやってきた。縫うのは産婦人科でも慣れているだろうと、心配はしなかった。
麻酔注射を患部に打って、しばらくして「感じる?」と先生が聞いてきたので「はい」と答えた。もう1本注射を打たれた。「痛い?」と今度は聞かれた。「はい」と正直に答えた。
「このまま縫っちゃおう」先生は痛いという僕の主張を無視して傷口を縫い始めた。痛いの痛くないのって、この藪医者!
おそらくは酒の飲み過ぎで麻酔が効きにくくなっているのだろう。30年前以上のことだから、何針縫ったのかは覚えていないが、実はいまだにクッキリ縫った跡は残っている。
僕はリョービの若手社員に店まで送ってもらい、仕事を続けた。当時はそれが当たり前であった。決してブラック企業であるとか、そんな感覚はなかった。
風の噂によると、リョービの若手社員はそれ以来、出世街道を進み、結構な地位になったそうである。・・・その節は有難う御座いました。