男はつらいよ
渥美清の「男はつらいよ」シリーズを見ると、後半は甥っ子の満が半ば主人公になったりするから別物だけど、その前までは内容は多少前後するものの、寅さんが柴又に帰ってきて、ケンカして出て行って、女の人と出会って、ふられてのワンパターンの展開であった。(自分から身を引くパターンも多かったけど)
しかもコンプライアンス無視で差別用語も出たり、行動も今の社会では挙動不審な男で、気楽に女性が心を許せるとはとても思えないものだった。
映像でみると寅さんってとってもおかしないい人に見えたりするけど、実際にいたらヤバイ。特に今日の日本では。
それが当時は疑問に抱くこともなく、当然のように笑ってみていた。
数年前、柴又に行ってみた。柴又の駅は映画で見た駅と変わらず、改札を抜けると寅さんの銅像があった。街並みも映画のまま変わらず、まるでなんとか遺産のように、姿を変えてはいけないようになっているのかと思った。実際、そういう気分は多分にあるだろう。
帝釈天は立派な木彫りの壁画が飾ってあり、(映画ではみたことないが昔からあったものらしい)それ以外は映画そのものではあった。寅さんの記念館も訪れた。昭和を感じる展示物や映像が狭いスペースに展示してあった。
今から40年以上前、高校生の頃、新聞部で山田洋次監督にインタビューしたことがある。もっとも僕はカメラマンで、別の人間にインタビュワーになってもらった。たまたま高校の近くの場末の映画館で山田洋次特集をやっており、「幸せの黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」が上映されていた。そのゲストとして呼ばれたという情報をキャッチしてインタビュー依頼をかけたのだ。
質問するたび「あの~~~」としばらく考えてから答える真摯な態度に感銘を受けた。ウソです。なんでも「あの~」ばっかりいって、インタビューの時間の9割がたは「あの~」だった。山田監督がTVで出演して流暢に話しているのを見ると「編集してるのかしら」とつい思ってしまう。
インタビューの内容もほとんど忘れたが、1つだけ覚えている。どこでも聞かれる内容ではあったろうが、「いつまで寅さんシリーズは続くのか」という質問だ。監督は「あの~」といいながら、「渥美さんが寅さんをできなくなるまで」と答えて下さった。
最後は渥美清も無理をしながら作品に出て、最後は帰らぬ人となり、それが「男はつらいよ」の終わりとなった。
ところが昨年、最後の「男はつらいよ」が上映された。渥美さんはこの世にいなかったけれど、監督はどうしてもけじめをつけておきたかったのだろうと思う。
時代遅れな映画だけれど、日本の映画史になくてはならない映画であることは間違いない。