不幸
田舎のホームセンターにいた頃、1人の男性社員がいた。この男の話を書こうかどうしようかと迷っている。というのも、これほどまでに不幸な人物というのは、見たことがないからだ。もっとも本人がどう思っているかはわからないけれど。
彼は若いうちに両親を亡くしている。弟が1人いたが、音信不通である。同じ店の女性と結婚をして、女の子に恵まれた。ここまでは親に先立たれたとはいえ幸せだったろうと思う。
そのうち、異動があり、彼は単身赴任することになる。そこへきて妻の母親が倒れる。娘の世話と母親の看病で、妻が先立ってしまう。彼は本部に異動願いを出し、戻してもらう。
娘は保育園に預け、時間外にはなるものの、夜8時くらいまで見てもらっていた。と、同時に彼は妻の母親の看病も引き継がなければならなくなった。妻には兄弟がいて愛知の方にいたが、なぜだか、母親を引き取ることはしていない。
娘は小学生になる。彼は毎朝早くに起きて、娘のために弁当を作り、出社した。給食のない小学校もあるのだ。
そのころ僕がこの店に赴任する。彼の仕事ぶりはというと、決してできるタイプではなく、なにか常に睡眠不足なのかボーッとしていた。歩き方もロボットみたいで、ちょこちょこ歩幅が狭く変な歩き方をする。妻を失くして以来、あんな感じになったとの昔から彼をよく知る女性従業員が教えてくれた。
昔から慣れた仕事は得意である。田舎だけあって、刈払機の修理依頼が、頻発するのだが、メーカーに出さずに、彼はそれを自分で直していた。余談だが、この店はストーブの修理依頼も多く、もう1人、年配の従業員がいて、直していた。今は定額修理制で、メーカーに送るようになっているが、昔の社員は店で修理することができた。かくいう僕も電動工具の簡単な修理くらいならできる。
ある日のこと、常にボーッとしているので、フォークリフトでお客様の車に傷をつけた。そしてそのことを報告しなかった。どう考えても、ぶつけたことを気づかなかったとは思えない傷であった。最初、お客様が、お宅の社員がリフトでぶつけたのではないか、というので、そんな馬鹿な、もしそうなら正直に報告に来るはず、と信じていたのだが、車の傷とリフトのキズの位置が一致したため、彼がぶつけたことが判明した。ボーッとするにもほどがある。危険人物だった。
彼の妻の母親が亡くなった。通夜葬式には妻の母親には花輪は会社から出さないことになっていたので、花輪なしでは淋しかろうと、僕が会社の組合に相談して花輪を出してくれるように取り計らった。彼を知る他の店の人間も三々五々やってきてくれた。
遺骨については、妻の兄弟がもっていって、向こうの墓に入れることになった。さんざん世話だけさせておいて、死んだら引き取るというのはどういう料簡であろうか。とりあえずは1つ、彼の足枷がなくなった。
しばらくして僕が異動して都会の住宅街の店に異動になった。彼も今の田舎の近くの店に異動になった。これで当分彼と会うこともない。
数年後、心臓の病気で彼が入院したことがわかった。倒れたまま救急車に運ばれて、小学生の娘1人だけなので、店への連絡のしようもなく、行方不明状態になっていたらしい。さいわい心臓の病気自体は大したことはなかったようだが、他に重大な病気が見つかった。パーキンソン病である。それを聞いた時、僕はピンときた。あのちょこちょこした歩き方は典型的なパーキンソン病の症状だということに。
彼は長期入院し、会社も休職期間が過ぎたので、退職することになった。今はどうしているかわからないが、ちょいちょい昔の店に買い物に来てたりするらしいので、それほどひどくはないのかもしれない。
娘は大学生になり、そこまで育て上げただけでも立派なものだろう。
彼の噂は僕自身が会社を辞めたため聞かなくなってしまった。
書こうか、書くまいか、悩んだまま、書いてしまった。人の幸せなんて杓子定規ではないから、素直に娘が成長して彼は幸せなのかもしれない。そんなことをふと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?