モバイルウエア(ショートショート)
モバイルウエアが一般化して、身体障碍者や寝たきり老人はいなくなった。このウエアを全身に着込んでしまえば、自由自在に動くことができるのである。薄い生地で作ってあるので、暑さにも平気だ。薄いわりには丈夫なので、義足の上から着ても、破れたりなんてことはない。もっとも鋭利な刃物や銃弾にも耐えられるかといえば、そこまでの強靭性はない。
着ている人の脳波で操縦するので、義手義足でも安心して使用することができる。訓練すれば、義手でピアノが弾けたりもするし、義足でサッカー選手になることも夢ではない。
モバイルウエアには一般の人たちが着ても何の意味もない。普段持っている能力以上のものは出せないからである。ただし障碍者が着れば、訓練することのよって、前述したように、ピアノが弾けるようになったりするのである。
これを発明した会社の研究グループのO氏はノーベル賞を受賞した。全国の障碍者がこれで普通と同じ暮らしができるのである。これは素晴らしいことであった。
ただし問題は何事にもつきものである。寝たきりの老人がウエアを着たら退院することになる。歩けるなら自宅で療養して下さい、ということである。老人大国になった日本では、全ての病気の老人を収容できるキャパシティーがないのである。歩けるなら即退院である。それで、認知症の老人が徘徊して、車に轢かれたりなど事故が多発したのである。
病院側は認知症の気のある人には装着するのはやめることにした。しかし体が不自由なだけで認知症でない老人はどんどん平気で外へ出ていく。明日をも知れぬ老人も外に出て道を歩きたいと願うのは、致し方ない事であろう。
街中老人だらけになってしまった。しかも元から元気な老人ならばまだいいのだが、棺桶に足を半分突っ込んだ人まで歩いている。
ウエアはその人の脳波で作動している。脳波が途切れれば、その場で斃れてしまう。救急車の出動回数が極端に増えた。
脳波は無事だが、心臓が先に止まってしまった人などは、脳波が止まるまで、当てもなく歩き続けた。まるでゾンビである。
困った国は、救急車の数を増やすことくらいしか策がなかった。
今日もまたコンビニの精算の順番待ちで、待っていると、いきなり後ろに並んでいた老人が、こっちの背中に倒れこんできて、息絶えたり、トイレが長いな、と思っていたら、中で老人が死んでいたり、酷いのになると、老人が運転している車が幼稚園児の集団の中に突っ込んできたりした。
もはや国難である。この事態を重く見た内閣は老人の一人歩きの禁止を打ち出した。これには元気な老人たちが反発したので、免許制にした。1人歩きの老人は首から許可証をぶら下げるのである。それがない老人は勝手に外に出てはならないことにした。そうはいっても子供と違って大人である。モバイルウエアを着ているので、それなりに力もある。まさか鎖やハーネスに繋いで歩いていくわけにもいかず、許可証のない老人の1人歩きは後を絶たなかった。
ある日、問題視されている老人たちが集団で、集まりだした。それぞれヘルメットをかぶり、角材を持っている者もいる。
警察に連絡が行き、彼らを家に帰そうとしたが、数が多くて無理だった。彼らは国会議事堂に向けて行進した。そして誰かが「シュピレヒコール」と叫ぶと、一斉に「我らに自由を」「平和を我等に」と大声で唱和した。
警備員を押しのけ、議事堂の中に正面から入っていった。機動隊が動員され、一気に彼らと衝突した。老人たちは角材を振り回したり、火炎瓶を投げつけたりした。
老人のうち一人が言った。
「懐かしいのお」