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無駄毛(ショートショート)

 朝、会社に向かう途中、電車の中で座っていたら、何気なく右手で右の頬を触った。そしたら無駄毛が1本生えているのに気づいた。不細工だな、と思い、右の親指と人差し指でつまんで抜き取ろうとしたが、なかなかうまくいかない。
 カミソリか毛抜きでもあれば勝負は早いのだが、それでも俺は2本の指で無駄毛を掴もうと躍起になっている。やっと捕まえたと思ったらスルリと滑って逃げていく。だんだん意地になってくる。
 そんな俺を周りの客たちは気づいているのかいないのか無視している。「毛抜き貸しましょうか」くらいいってくれる人はいないものか。こんな都会の真ん中の満員の電車の中で、そんな人いるはずはないか。
 掴んだ!
 俺はこのチャンスを逃さず、毛を滑らないように引っ張った。毛は気持ちいいくらいの感覚で、抜けていった。
 はずだったが、毛はいつまでも引っ張った分だけ頬から出てくる。「どうなっとるんじゃ、こりゃあ」と俺は心の中で叫びながら、毛を引っ張り続けた。ほんのちょっと1㎝かそのくらい出ていた毛が、いつの間にか数メートルになっていた。気持ち悪いながらも、なおも俺は引っ張り続けた。もはや指では無理だ。両手で引っ張っていく。
 やっと俺の正面で立っていたOLらしき若い女性が事態を把握したようだ。
「はああ?」
 といった。その声に反応し、右隣に立っていたサラリーマンと左隣に立っていた同じくサラリーマンが「げっ」といった。
 俺の座っている席の両隣に座っていたおばさんは気持ち悪そうな顔をして、席を立った。
「ひえええええ」
 どこからか俺を見て叫んだのであろう声がした。俺の毛はもはや毛玉のようになり、足元に転がっていた。しかもなおも俺は引っ張り続けていたのである。
「これを見なさい」
 サラリーマン風の男がスマホの画面で俺の顔を見せてくれた。ありえないことがおこっていた。俺の髪の毛と眉毛がなくなりつつあるではないか。ずっと引っ張っていた毛と髪の毛や眉毛は繋がっていたのだった。こんなことは医学的に見てもありえない。俺は恥ずかしさのあまり丁度停車した駅で降りようとしたら、己の毛が足に絡んで、転んでしまった。すぐそばにいた男が心配して聞いた。
「大丈夫ですか。お怪我はないですか」
俺は答えた。
「はい、毛が(怪我)ないです」
 
 
 

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