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無感情の筆先と称賛の声

写実的な絵を描くことは、退屈だ。 同じセクションを繰り返し観察し、それを忠実に再現する作業。

色を配合して、鉛筆画に命を吹き込む。色を塗るのは面倒だと感じることもあるが、それでも絵に魂を宿らせるような感覚で描き進めてしまう。

嫌なのに。

紙にただ模写しただけの絵なのに、人々はその絵を気に入る。

何の感情もこもっていない一枚の絵。

それでも賞賛される私。

リアルな絵を描いている時、私は無感情。 心に傷ができるたびに、私はリアルな絵を描くという単調な作業に没頭する。 そうすることで、自分の心の周りに壁を築き、人々の声を遮断する。

それが私を安堵させる。

あなたが「すごい、才能がある」と褒め称えるその絵は、私の心の傷の蓄積。

心の傷を和らげるために、単調な絵を描いて現実を遠ざけているにもかかわらず、人々は「才能を感じる」といった賞賛の言葉で、現実を再配達してくる。

余計なお世話だ。

私の魂の一部となっているリアルな絵とは異なる、私独自の絵柄からは、何の才能も感じられないらしい。

絵も、その絵を描いた画家も、感想なんて求めていない。 「良い」という二文字すらいらない。

私は私のために描いている。

感想なんて求めていないから、何も言わなくていい。

人の感じ方はそれぞれ違う。 でも、わざわざ口にしないで。

放っておいて。

感想が欲しかったら、その時はあなたに伝えるから。 私は私。あなたはあなた。

評価なんてするものじゃない。


『無感情の筆先と称賛の声』は、写実的な絵を描くことに対する私の複雑な感情を描いた“私の声”です。写実的な絵を描く作業は、単調で無感情なものでありながら、その絵が賞賛されることに対してもやもやしたなんとも言えない嫌悪感のようなものを抱きます。私は、自身の心の傷を癒すために絵を描いているにもかかわらず、その作品が他人に「才能」として評価されることに時に苦しみを感じます。

ここで「結晶」という表現を使ったのは、私の心の傷が積み重なり、凝縮されて一つの形となった作品を指しているからです。結晶は、さまざまな要素がゆっくりと時間をかけて積み重なり、美しい形を作り出します。私にとっての結晶は、心の痛みや苦しみの蓄積ですが、他人から見るとそれは美しく輝く芸術作品として評価されます。この観点の差が、自己表現と他者評価の間で揺れる私の心情を際立たせています。

この声は、美しくも鋭い筆致で、私の内面の葛藤を描き出しています。絵に込めた深い感情と、その絵が外部からどのように見られているかという二重の視点から、芸術と評価の本質について考えていただける機会になればと思います。

Boundless Utopia 




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