生と死の狭間で- 響子の生い立ち②

響子は、大阪の下町に生まれ育った。
新潟県出身の母と、京都出身の父の間に
4人兄姉の末っ子として生を受け人並みの愛情を貰い
健やかに、幼稚園、小学校、中学校、高校、そして
大学にまで進んで、就職氷河期を切り抜け
不動産会社に事務員として就職。

幼稚園は平々凡々に。小学生時分はマラソン。
長距離走が好きで町内会のマラソン大会では
運動部の面々を抑え3位入賞。小学校の大会でも
上位に入ること幾度となく経験。この時の
響子の夢はマラソン選手になることだった。

中学生になると、コンピューター部に所属。
今は懐かしい一太郎というソフトを使って文字を
入力したり、譜面を入れて音楽を鳴らしたり。
響子はこの頃はまだタッチタイピングに不慣れ。
出来なかったが、当時にしては珍しくパソコンに
触れる機会に恵まれた。

内弁慶。外では言いたいことを言えずいつも
酔っ払って仕事の鬱憤を家庭に持ち込む父親。
家では四六時中、父親と母親が言い合いの喧嘩を。
時には、母が涙を流して泣いている姿をみて育ち
幼心に「早く離婚したらいいのに」と願う毎日。
年子の姉とはソリが合わず、何かにつけて姉妹喧嘩。
誰かが怒鳴るか叱られる光景が日常的にあった。

怒鳴り声が飛び交う家庭で育った響子。
前述通り、心が休まる場所が家にはなかった。
非行に走ったりヤサグレたりすることは
幸か不幸かなかったが、母親に何かにつけて
「お前は橋の下で拾った」と言われ傷心。

兄姉たちにも「響子はバカだからな」と
バカにされ続け、最初からなかった自尊心を
さらに底辺まで下げられて、中学生時分は
遺書を書くことが当たり前の生活に。

大人になってからそれが心配の裏返しと気付くも
母親に「お前なんて無理無理。何も出来ない」と
全否定され、肯定されることなく育ったためか
「なぜ、この世に生まれて来たんだろう。」
「なぜ、こんな辛い人生を生きないといけないんだろう。」
そんな考えが響子の中に芽生えたのも、この頃。
死にたがりの響子がこうやって形成されていく。

そんな中でも、高校生に上がると、
高校生活で出来た友人に誘われて軽音部に入部。
生徒会に入って書記をしたり、生徒会の先輩に頼まれ
空手部を兼任したり、初めてのアルバイトを始めたりと
友だちも多く、それなりの青春時代を過ごした。

初めての彼氏も、高校2年生の時に。
同じ学年、同じクラスの優しくて格好いい優くん。
優くんとの時間は、どれもかけがえのない時間。
当時はPHSとポケベル。学校でも会っているし
放課後も会える日は校内だけに限らずカラオケや
公園で過ごし、響子の母親が心配して電話を
度々掛けて来る夜中まで一緒に居ても離れ難く。

お互いバイトがあっても優くんは毎日家電から
電話を掛けてくれ、他愛のない会話が愛おしく
「あんた電話代えらいことなってるけど⁉️」と
優くんママに怒られること度々…そんな大好きな
優くんとも些細なことで別れることに。

優くんは名前の通り、誰にでも優しく、モテ男。
「響子ちゃん、優くんと付き合っているの?」と
優くんのことを好きな女子から訊かれて圧を掛けられたり
「私も優くんのこと好きなんだけど」とライバル宣言されて。

優くんのことを好きなのに自分に自信のない響子は
「他の娘に優くんを盗られるんじゃないか」と悩んだ。
そして好きだから、もっともっと好きになったら、
「これ以上苦しい気持ちでいっぱいになるのは辛い」と。
「(好き過ぎて怖いから)少し離れたい」と
響子は、優くんに「距離を置こう」と提案した。

優くんは「距離を置いたら気持ちが離れてしまう」
「それなら別れよう」と別れを切り出したのである。
響子はそれは嫌だったが「大丈夫、すぐ元に戻れる」
そう信じて疑わなかった。何の自信があったのか。
2人が再び、付き合うことはなかった。それは
高校2年生から3年生に上がってすぐくらいまでの話。

別れた後、優くんは、別の娘と交際することに。
一途な響子は自分が別れる原因を作って置きながら
高校を卒業しても、大学に行って大学生活を始めても
「あの時、響子が変な意地を張らなければ…。」
響子は結局、何年掛かろうが他の人と付き合おうが
初彼、優くんのことを忘れることは出来なかった。
その後、10年以上経っても優くんを想っていた。

余談なれど、そんな優くんとは20年後にトモダチとして
和解する機会に恵まれた。響子はやっとそこで
優くんから解放されることが出来たのだ。

さて、話は、響子の就職した時分に戻る。
実家は喧嘩の絶えない家だった。就職した後は、
家から自転車で30分程度の距離にも関わらず
響子は家を出たい一心で会社から徒歩10分圏内の
賃貸を借りて待望の一人暮らしを始める。

初めての一人暮らし。家事は実家にいる時から
していたので、さほど困ることは、何もなかった。
むしろ9時-18時で仕事が終わるので7時に起きて
21時には寝る生活をして時間を持て余していた。
ある時、会社の営業さんに誘われて地元のBARに。
そこから響子がBARで独り飲みにハマることは
大した時間が掛からなかった。

BARではカクテルを。1〜2杯だけ。
決してがぶ飲みはせずチマチマと少しずつ。
毎日とは行かずとも、週に1回。2回。3回。
もちろん以前のように21時に寝る日もあれば
1時2時までBARで過ごす日も。

次の日、パソコンで資料を作成しながら
うたた寝してしまう日もなかったとは言えない。
そんなある日、優くんくらい好きになる男性
司と出逢う。同じBARでよく一緒になる司。
2人が付き合うまでは長かったが、付き合うと
何も理由を言わずに響子は司に振られてしまう。

優くん以来の大失恋。またまた死にたい思考発動。
そんな中でもmixi全盛期、ご近所さんと仲良くなり
飯友さんが出来たこともあり、なんとか生きる響子。
誰かと過ごす何気ない時間が響子の心をあたためていく。

死にたい盛りの響子も、仲間と過ごすことで
生きる希望を持ち始める。そんなある日ノブと
出逢うことになる。ノブは1個下の東北出身の
プロクマラマー。目が細く、顔は中尾明慶似。
塩顔。ソース顔が好きな響子はノブはタイプじゃない。

最初の印象は「やだな、一緒に御飯食べたくない」
ヤスのうちで御飯を食べようと、ヤスと買い物途中
たまたまスーパーで会ったmixi仲間ノブをヤスが
「響子とうちでご飯会するけど、ノブも一緒に食うか?」
と誘ったのを機に、3人でヤスんちで集まるようになった。

何がどうなってそうなったのか響子はノブと付き合うことに。
付き合って2年経ったか3年目「一緒に住もう?」と
響子はノブに提案する。「別れたらどうするの?」と
問うノブに響子は「別れたら別れたときに考えよ?」
「お互いの家を行ったり来たり、時間と労力が勿体無い」
「光熱費も2人で割れば安くなるかもだし?」と
ノブを説得。3LDKのフルリフォームされた賃貸。
ウォシュレット付きのノブが気に入った物件に決めた。

不動産会社で働く響子は平日休み。
土日祝が休みなノブ。休みが違っても
問題は何もなく、同じ空間に居ても干渉せず
別々のことをしていても互いに全然構わなかった。
そんなノブとの生活も6年程で終わりを告げる。

29歳を目前に「結婚したい。」そう言う響子に
ノブは「結婚はしない」と返事を。響子はそれならば
「夢に向かって生きよう」と不動産会社を辞め
転職活動して外食産業の道に進むのであった。

飲食店店長の仕事は過酷で、朝から晩まで通し。
休憩時間はあれど、正社員は1人。頼れるのは
上司と先輩。だが、連絡付かないこともあり
レジ金が合わず終電で帰れない日もあった。
最初の頃はタクシーに乗るもお金を稼いでも
「こんなことで結局無駄遣いしているなんて…」
と、時に自宅まで2時間以上歩いて帰ることもあった。

「なんでこんな辛いことしてるんだろう」
泣きながら家に帰る道中、こんな想いをしてまで
叶えたい夢なのか。自問自答してはまたしても
「死のう」と、いう考えが響子の中に芽生える。
それでもまだノブと暮らしていた響子は生きた。

「1つでも結果を出したら会社を辞めてもいい」
そう、響子は上司に言われて、各店舗で実施した
名刺と交換でドリンク1杯サービスキャンペーンにて
どの店舗よりも多くの名刺を獲得した響子。無論
響子だけの力ではなくパートのおばちゃんたちに
協力して貰っての結果であるが、それも響子の
日頃のおばちゃんたちとの絆の集大成であった。

ほどなくして、外食産業を退職した響子。
響子は自分のお店を持つべく、次のための行動。
個人でイタリアンをしているお店でアルバイト。
そこでサラダとパスタ、ピザの作り方を覚える。
それから、別の有限会社に就職して、そこで
ホール管理を任され外食産業で培ったお酒の発注
アルバイト管理をさらなるものにする響子。

しばらくして、和食の技術を学ぶべく、お初天神の
小料理屋で御縁をいただき、魚の捌き方を習得。
ほどなくして自店舗が見つかり、30歳で独立開業。
そこから小さな飲める定食屋を始めた響子であった。

ノブと別れたのはそのお店を始めてから、再度
「結婚するか別れるか決めて」と響子がノブに
決断を迫った後のことである。

                 つづく

#創作大賞2024 #7部作

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