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目覚めたとき、私は宙を舞っていた。
忘れもしない、2024年10月15日深夜。
私は人生で初めて「目が覚めたら体が宙を舞っている」という状況を経験した。
なす術もなく重力に従いながら、ある言葉が頭に浮かぶ。
「あ、私、死んだわ。」
「目覚めたら宙を舞う」という謎の状況に陥る直前、私は夜中に起きてトイレに行った。
…のだと思う。
確信をもって言えないのは、記憶がないからだ。
時刻は23時30分過ぎ。
この1時間前までパソコンに向かってカタカタやっていた私は、確かにトイレのために起きて行動してはいたが、半分眠っている状態だった。
体が覚えている導線を辿り、無意識のうちにトイレへ向かったのだろう。
そして、気がついたときにはもう、私の足は地面を離れていた。
というのも我が家は、トイレの目の前に階段という構造をしている。
トイレと階段の間には十分なスペースもあるのだが、寝ぼけた私は何を思ったのか、階段側へ近づき、踏み外したのだろう。
掴まるものもない階段で、あとはただ落下することしかできない。
人間、とっさのときは叫び声すら上げられないんだ、と学んだ。
まぁ、夜中だったので、近所迷惑にならなくてよかった、と今は思う。
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落下時間はほんの数秒だった。
体感が短かっただの、長かっただのの感想もなかった。
そもそも、落下の最中に目覚めたので、どこからどこまでが落ちている時間なのか定かではない。
さらに言うと、どんな体勢でどう落ちたのかすらわかっていないのだ。
ただ、何かにぶつかるけたたましい音を、どこか他人事のように聞いた。
そして、いつの間にか階段下に体を横たえていた私は、
「良かった、生きてた」
と、素直に感謝したのだ。
しかし、安堵したら今度は全身に痛みが襲ってくる。
そりゃ無傷で済むなんて虫のいい話はないわな…(ちょっと期待してごめんなさい)
一人暮らしで頼れるのは自分だけ。
私を助けてくれるのは私だけだ。
階段下でうずくまって痛みをやり過ごしたのち、しぶとく残る左足と背中の痛みに耐えながら、再び階段を登った。
這いつくばりながら、何とか生活圏へと帰還する。
しばらくすれば、きっと痛みも引く。
そう信じて、布団に横たわった。
が、いつまで経っても痛みは引かない。
何なら、さらにひどくなる始末。
「え、、、これ、救急車呼んだ方がいい案件?」
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これまで、誰かのために救急車を呼んだことはあっても、自分のために救急車を呼んだことはなかったので、本当に呼んでいいものか迷った。
痛みがあるとはいえ、こんな意識がしっかりしている私より、救急車を必要としている人がいるんじゃないか、と思うと119番なんて気軽にはできなかった。
今思えば私の状況も十分救急だと思うけれど、もしかしたら冷静なようでいて実は混乱していたのかもしれない。
悶々と悩んでいたときに思い出したのが「#7119」だ。
お医者さんや看護師さんが、救急車を呼んだ方がいいかどうかを電話で教えてくれる相談窓口。
調べてみると、私の住む地域は対象に入っている。
深夜にも関わらず受付時間内だった。
(こんなところでも活かされるライタースキル!…使いどころ、間違ってる?)
「少しお聞きしますが、ご本人様ですか…?」
スマホ越しに聞こえた女性の戸惑った声は、今でも覚えている。
えぇ、そうですよね、びっくりしますよね、でも申し訳ないんですが、階段を落ちた本人が電話をしています。
まぁ、数段とかではなく最上段の2階から、それも12段分落ちたことを伝えれば、当然の反応なのかもしれない。
「頭を打っている可能性もありますので、至急救急車を呼んでください」
こう言ってくださったおかげで、腹が決まった。
夜中だからサイレンの音が近所迷惑になる(※)とか、夜中に起こしてしまったらどうしようとか、近所の人に見られたら恥ずかしいとか、この際全部置いておく。
すでに日付は変わった16日0時30分、震える指で画面を操作し、やっと緊急通報することができた。
※救急車は家の近くではサイレンを消してくれました! 細やかな気遣いに感謝しかない…涙
その後、救急車に乗って救急病院へ向かったら、自分でもわからなかった被害と状況が徐々に明らかになっていった。
「おそらく頭、打っていますね」
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駆けつけてくれた救急隊員さんが、玄関先で私を見て一言。
ここで初めて、自分のおでこが赤くなって、さらに血が出ていることを知った。
救急車が来るまで、自分で鏡を見る余裕などない。
なんなら着替えもできず、パジャマ姿のすっぴんだ。
深夜の救急にどれだけお金を持って行けばいいのかだけが不安で、お財布にお金を補充し、いつも使っているリュックに入れ、再び階段を下りて(這って?)玄関先で救急車を待つだけで精一杯だったのだ。
身だしなみのことなど、頭になかった。
念のためと首を固定され、動かせないまま病院に担ぎ込まれると、さらに詳細が明らかになってくる。
左足の腫れ
右足の太ももから足首にかけて、連なる青あざ
右足の膝に擦り傷
背中に青あざ
なにかあっては後で困ると、必要な検査はすべてお願いした。
家には私しかいない。
家で一人倒れたとて、誰にも助けを求められないのだから、不安の芽は今摘み取ってしまいたかった。
「やっぱり折れていました」
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検査結果を待っていたら担当の先生が顔を出してくれて、良い笑顔で告げられた。
その笑顔を見て安心した私も、笑顔で「やっぱりですか」と返す。
幸い、大腿骨や脛骨ではなく、足の指の骨。
時間も時間なだけに専門医がいないため、患部はぐるぐるに固定され、病院があいている4時間後に再び受診することになった。
病院を解放されたのは、4時過ぎ。
いつもなら、パン屋へ向かっている時間である。
慣れない松葉杖で病院内を歩き、とりあえず手近な椅子に腰を下ろす。
そのまま当日参加予定だった講座に欠席の連絡をした。
さらに、職場にも連絡をする。
10月とはいえ4時台の外は暗く、多くの人が眠っている時間では、家に灯る明りさえ少ない。
バスもなく、文字通り”足がない”私は、守衛さんに助けられながらタクシーを呼んだ。
家に帰って布団に横になれたときは、本当に安堵した。
とはいっても、また3時間後には再び病院へ行かねばならない。
安心して眠ることはできなかったし、これからのことを思うと気が気ではなかったが、被害が骨折だけだったことに安心した。
「足の骨折だけで済んで、本当によかったね」
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首の皮一枚でつながってる…
看護師さんからも、
お医者さんからも、
大家さんからも
パン屋の同僚からも、
口を揃えて言われた。
実は私自身が骨折で済んだのは、一番幸運だったと思っている。
だって、骨折は時間が経てば回復してくれる。
いつかは歩けるようになる。
それってすごく大きい。
ヘタしたら、半身不随や動けなくなることもあると、救急隊員さんに言われた。
さらに、死んでいたかもしれないと言葉を重ねられれば、ゾッとする。
家の階段は12段。
今も自宅の急階段を見るたびに「よく無事だったな~」と思う。(どこか他人事)
今も階段を下りるときは少し怖く、未だに一段ずつしか下りられないでいる。
完治したと言えるのは、きっとトントンとスムーズに階段を下りれるようになってからだろう。
骨折から3ヶ月半経った今、空間があいていた骨も、半分ほどつながった。
もう骨がズレることも、手術が必要になることもないだろうと言われている。
まだ完治まではいかなくとも、歩くことも外出することも仕事へ行くこともできている今に、感謝しかない。
私は毎月振り返りをする際に、その月を一言で表現しているのだが、2024年10月の手帳には、大きく「まさか」と書かれている。
人生、何が起こるかまったくわからないものだな、と思うと同時に、もう二度とこんなことがないように、対策も考えている。
やはり、ベビーゲートが有力だろうか?笑