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「手間をかけなければならない」という #呪いを解く冒険 10

 少し前だけど、「ポテサラ論争」やら「冷凍餃子論争」が勃発してましたよね。手間かけないと、わたしたち家族は幸せになれないんだっけ?をいま一度考えて、サクッと論破できるお守りを携えるよ、という話。

 どちらも発信源はTwitterでした。ポテサラ論争は、スーパーの惣菜売場でポテサラを買おうとした子連れ女性が、高齢男性から「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と絡まれる目撃談。冷凍餃子論争は「夜ご飯しんどくて冷凍餃子にしたの。長男が『ママ餃子美味しい!』って喜んでたの見て旦那がすかさず『手抜きだよ。これは れ い と う っていうの』この人ポテサラじいさん予備軍みたいなんで埋めるか打ち上げて良いですか」というご本人から。

 このTweetたちをみて、わたしの中の稼ぐ人/稼がない人、労われる人/労う人などの、夫婦における境界線やら呪いにザワザワ。さらには、手間をかけると存在意義を肯定されるような感覚があったんだけども、実際にこういう風に手間をかけないと存在意義の否定をされるという出来事が可視化されると、またさらに呪いがかかっていくような感覚があるのです。だからこそ、一旦、この問題と向き合う必要があるなと思うのです。

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