DIALOGUE with後藤正文(ミュージシャン)|どうしてDIYしてるんだろう?
音楽制作だけではなく
届けるプロセスもすべてがDIYだった
伊藤 今のアジカンでは信じがたいけれど、バンドの最初の頃、アマチュア時代って、誰かから頼まれたわけでもないし、売れるかどうかわからない中でも曲を作ってたんですよね。
後藤 そうそう。自分の曲は良いと思ってたし、誰かが評価してくれるだろうって思ってたんだよ。妙な自信があったんだよね。途中何度も折れてるけど。
伊藤 どんなことで?
後藤 例えば、チケットが売れないとか、レーベルと契約ができないとか。でも、そんな時でも、友達が「やめない方がいいよ」って言ってくれて、続けられた。そういう存在が何人かいたんだよ。
伊藤 そういう方たちのおかげで、わたしたちは今アジカンを聞いているんだと思うと、ぐっときますね。できた音源はどうやってリスナーに届けていたんですか?
後藤 レーベルとCDを作れるのは選ばれしミュージシャンだけだったから、テープを自分たちで作ったり、あとCD-Rっていうメディアが出てきて、「これに焼けばいいんだ!(※メディアへコピーすることを「焼く」と言っていました)」ってね。ちょうどMacのiMacが出た時で、やっと自宅に置けるパソコンが発売されたって感じだったから、そのMacを買って、CD-Rの焼き方とかは友達に聞いて、みんなで電気屋行って100枚、200枚って単位で、安く買ってきて、一枚焼くのに10分とかかかるから、手分けして焼いたりとか。全部手探りでね「どうやらマスタリングってのをやらなきゃいけない」とか、そんな感じでやってた。今みたいにネットで情報もなかったしね。
伊藤 そうか、音楽を届けるところも、オンライン上のサービスもなかったし、今よりもずっとずっとDIYだったのかー!バンド結成が1996年で、インディーズレーベルからミニアルバムが出たのが2002年で、売れたのは2003年とのことなので、それまで6年ぐらいはこんな感じで自主制作でいろんなDIYしてたんだね。
商業的な音楽制作は締切があり
音楽以外のDIYは手放さざるを得なかった
伊藤 2003年にメジャーデビューしてからは、自分ごとだった音楽活動から、商業的な側面も大きくなっていったと思うんですが、音楽制作の環境は、どんな変化がありましたか?
後藤 年間スケジュールが出てきて、締切ができたんだよね。インディーまでは、曲ができて、リアルにCD-Rにコピーしてケースに詰めたときが発売する時だったんだけど。インディーズレーベルと契約して、メジャーになってという中で、スケジュールも意思決定も、関わる人が増えて、バンドが自分たちだけのものではなくなっていくというのが大きくて。
伊藤 そうか。家づくりのDIYと工務店の協業の時と同じ感じかもしれないな。相手の組んだスケジュールに合わせてDIYするって、難易度がめちゃくちゃ高かったんですよ。
後藤 1個1個、自分たちがしてきたことを奪われてるって感じはあったけど、音楽だけは死守って感じだったかな。それまではTシャツのデザインとかもやってたけど、忙しくなって、それを全部自分たちでやるのは難しくなってきて。そういう仕事を人に預けつつ、何を渡して何を渡さないのかという選択はしなきゃいけないな、というのは気にしてやってきたと思うんだけど。
伊藤 あー、なるほど。そうやって分業化していくんだね。その手綱を引いていようという意識を持っていたのはすごいことだね。折り合いがつかない様なこともたくさんあったと思うんだけど、どうしてたの?
後藤 ファミレスで喧嘩してた(笑)。例えば「リライト」っていう曲は、自分たちはシングルにしたくなかったんだけど、ファミレスで突然「シングルに決まりました」ってスタッフに言われたんだよね。俺、カンカンに怒っちゃって、帰っちゃったりね。
伊藤 それは、今のゴッチからは想像しがたい光景だね(笑)。でも、皮肉だけれども、とっても売れましたよね…。
後藤 そうだね。ゆっくり気づいていった、自分に商売の才能はないのかもしれないって。今は、アジカンが売れたのは自分以外の視点が現在地に連れてきてくれたんだって思ってるよ。
伊藤 そんな経験があると、自分が何を作っていいのか、わからなくなっちゃう気がするんですが、どうしているんですか?今は、何をシングルにするかとか、選ぶ時はどうしてるんですか?
後藤 今は譲るわけじゃなくて、ちゃんと話し合いをする感じ。自分が良いと思ってるものでも、他の人が「うーーん」ってなる時は、話し合いが大事だと思うようになった。アジカンというひとつの社会の中では、俺はマイノリティなんだってことがよくわかったから。
相対的な評価の中で自分が自分でいるために
自分の納得感に重きを置く
伊藤 このあいだ、「売れた後の呪い」みたいな話をしてましたよね。
後藤 曲が作れなくなった時期はなかったんだけど、みんなの期待に応えたいっていう気持ちとか、良い方にも悪い方にも誤解されてるなぁって気持ちとか、自分のバランスが良くなくて、ヘルシーじゃない状態になっちゃって。
伊藤 どうやってその状態を抜けたんですか?
後藤 「良いところも悪いところも、人がそれぞれに決めるんだな」って考えるようになった。そしたら発想がひっくり返って、自分が納得いくパフォーマンスをする以外の方法がないんだって。自分が楽しい、最高に体も動いて、心も躍動してるという瞬間を作りさえすればいいんだって。そうしないと、相対的な評価の中で自分がぐちゃぐちゃになっちゃうから。
伊藤 わたしのDIYでも、続けるうちに「自分がワクワクするか」みたいなモノサシを持つようになったので、アジカンのようなメジャーでも、まず「自分が楽しいか」、っていうところに行き着くのかー!っていう気づきでハッとしています。一方で、リスナーやファンが、自分が楽しいものを提供すれば、わかってくれる、というのは、彼らへの信頼を感じるけど、そこはどんな感じ?
後藤 信頼しているのと、全く信用していないのが、表裏一体になった態度なんだよね。伝わる人には、絶対伝わると思う。
伊藤 自分が納得しているもので、評価や共感を得ないと、根本的に幸せは感じられないですもんね。そういう姿勢って、きっとどんな環境でも必要ですよね。
後藤 だから、DIY精神やインディペンデントな気持ちみたいのは、たくさんの人が関わってできなくなるわけでじゃないし、会社とか大きな組織の中でも、僕は僕って気持ちを持って組織に埋もれずに、役割を果たすべきだと最近は強く思ってるよ。
誰かに作ることを全部任せてしまったら
自分のスタジオにも、音楽にもならない
伊藤 このスタジオはプロに頼んだ部分もあれば、自分で手を動かしている部分もありますよね。どうやって計画を進めたんですか?
後藤 うーん、やっぱり最初は、何をどう作るかっていう全体像を描くのが難しかったね。音響的な部分も考えなきゃいけないし、機材の配置も重要だし。あと、工事の手配とかも含めて、どこまで自分でやるか、どこでプロに頼むかっていう判断が難しかった。できるだけ自分の手でやりたいって気持ちもあったから、そこをどうバランス取るかが一番大変だった。まぁ、なるべく予算抑えたいと思ったら、プロの手が入らない方がいいっていう、ケチなだけってところもあるんだけど(笑)。
伊藤 DIYの始まりに、予算がないから、というのはよくあるよね(笑)。あとは、欲しいものがない、とかも…。
後藤 そうだね。最終的には、自分で調整しないで、誰かに預けていると、ずっと自分のスタジオにも音楽にもならないから。自分で作ったからこそ、自分のものになるからね。最初にガチっと完成品として納品されちゃうと、足したり引いたりできないんだよね。だから、緩くしておいてほしかった。あとは、自分のビジョンが、完成品を作るまで来てないだろうってのも思ったしね。
伊藤 あーなるほど、自分のビジョンの精度か。家づくりでもそうですけど、自分の手を動かして作っている途中でも知識や知恵が増えていくし、暮らしてみた体感は構想段階では得られないし、自分のビジョンも変化していきますよね。だから、やってもやっても、ゴールが前に伸びていく感じで、ゴールに辿り着けない感覚があります。
後藤 だから自分と一緒に良くしていけばいいんだって思う。大きな決断をしたら、業者を呼ぶけどね。音楽を作る時もそうだけど、自分がやるのか、誰に頼むのがいいのか、それは毎回考えたいよね。自分のビジョンを形にするプロセスだからね。
伊藤 あー、ほんとだ。自分たちの成長の余地を残すため、そして自分の手を動かすからこそできる成長のためにDIYをしているんだな。そして、本当にわたしからは見えない、これまでのゴッチの葛藤や学びのシェア、ありがとう。すごく勉強になりました。
後藤 いえいえ。こちらこそ、話していて楽しかったよ。ぜひ、また気軽に声かけて。
伊藤 ありがとうございます。では、今日はこの辺で!
あとがき(2024年9月執筆):
実はこの対談、原稿にすることなく、寝かせてしまっていました。今回、6年経ってタイムカプセルを開ける様な気持ちで、再び聞き、原稿にしました。
ゴッチとの出会いは、2012年のNO NUKES FESのバックステージでやっていたライブ配信のトークコーナーだったように思う。そのあとはゴッチが編集長のTHE FUTURE TIMESの取材で友人の編集者のブッキングでわたしはカメラマンとして一緒に坂口恭平さんの取材に居合わせた。さらに、暮らしかた冒険家の活動に興味をもってくれて連絡を取り合ったり、取材に来てくれたり、企画展のキュレーションに付き合ってくれたり、という仲であります。
遠くから知っていた時には想像もしなかったけれど、ゴッチはいつもあるべき姿、あるべき状態みたいなものに近づくために、自分の状況を微調整したり、再解釈や再定義をしたりしている人だと、態度や話の端々から感じてきました。順風満帆だったのではなく、順風満帆にしてきた人なんだろうな、と。
このインタビューをした際、それが確信に変わりました。独裁でもないし、手綱はできるかぎり握っているし、任せるところは任せている。そのあり方の彼が、これからどんな風景をつくり、見せてくれるのか、とても尊敬している友人です。
そんな彼は現在、ミュージシャンのサポートのためにスタジオを作るという何重にも大きく意義深いプロジェクトが進行中です。彼がこの数年、自分の手を動かしたからこそのノウハウも機材も惜しみなく他者にシェアしていく姿勢を応援しています。そして、さすがに資本も労力もDIYだけではどうにもなりませんので、みなさま、ぜひ一緒に「サポートしましょう!」というのはちょっと足りない気がするので、あえて「追随しましょう!」とか「一緒に走りましょう!」と呼びかけてみます。この渦が、どう大きくなるのか、今からとても楽しみです。