「対等を求めるわたし」と「養われたいわたし」が共存している面倒臭さ|「結婚したら養ってもらえる&男女は無条件で平等である」という #呪いを解く冒険
やけに不安や不満を感じたり、沸点が低いところは、認識していようといまいと、何かしらの呪いがあると思うようになりました。結婚とお金と末永い対等な関係について、棚卸ししてみました。
結婚すれば養ってもらえるという刷り込みと
共働きは対等でしょ?という気持ちのねじれ現象
男女平等なんだと、疑わずに生きてきた。大学生のころも、社会に出てからも、さらにガテン系の仕事をしたときでさえ、大変なこともあれば有利なこともあるよね、くらいに思っていた。さらには、フリーランス同士で結婚して、ともに稼いでいるときも特に何も感じなかった。
だけど、だけど、出産を経て、こんなにも男女における呪いがあるのかと驚いたのです。それは、自分の身体が思うように動かないという負荷がかかった状態だったから気がついたこともある。それに加えて、自分の沸点が低かったり、理路整然としない面倒なことを言い出す事象は、だいたい「○○してもらえるものだ」という期待があるということに気がついたのです。
夫に養ってもらうのが「女のしあわせ」みたいな無意識な刷り込みは、養ってもらえない状況で知らぬ間にメンタルを蝕んでいた。かといって、夫が変わって、養ってもらえば、それはそれで対等感がなくなった気がして気が滅入る。社会の仕組みもさることながら、ジェンダーの不平等は、わたしの中にも存在していたのです。
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