「あまっている」という豊かさ|「自分で抱え込まなければならない」という #呪いを解く冒険
あたりまえだったけど
あたりまえじゃなくなっていることを
目の当たりにする旅
2年ぶりに札幌に。その時は祖母のお葬式だったので、友人たちを訪ねたのは、もう2年半以上ぶりでした。その2年半の歳月で、仲間たちが住処をアップデートさせまくっていて、それはそれは刺激的な旅となりました。
そして、わたし自身も、何年も住んだ札幌の家に改めて滞在してみると、「今だったら、こうするな〜」ということが次から次へと頭をよぎる。随分、いろいろなことを吸収した時間だったのだと、感じました。
そんな中でも、自分が無意識に手放してしまったな、と思うことがありました。それは「あまっている」モノやコト。そこから派生していた豊かさについて、街中でどう再現できるかを含め考えてみました。
(写真は岡崎の家の庭で採れたなけなしの茗荷)
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