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さいたま市与野の古地図の謎解き

埼京線に南与野駅があります。グリーン・ゴッデスというバンドの歌の歌詞に出てきます。この南与野駅の西側を線路に沿って南に進むと、城北信用金庫西堀支店の裏に馬頭観音や庚申塔があり、ここに手書きの古地図が掲示されています。

(光ってしまい、見にくくてすみません)

石造物に解説板を設置した「日向鎌倉街道石造文化財保存会」のメンバーの方が書いたものと思われます。この地図の中央を南北に走る道が、日向鎌倉街道という古道であることを示しています。

地図中央の丸印が現在地の「日向の辻」ですが、その右のお寺マークには「不ドー」とか、地図の記載は暗号めいています。そこで、古地図を模写した先輩の意思を受け継ぎ、現在の地図と照合してみることにしました。

まず周辺の地形です。

与野周辺の地形

埼京線の右に鴻沼川があり、低地に挟まれた高台になっていて、いかにも古道が通っていそうな地形。上の立体地図の「与野本町駅」と書かれているあたりが、昔の与野宿のあった場所です。

さっきの古地図には与野宿の左に「円乗」とありますが、これは与野公園の隣にある円乗院というお寺です。先日行って来ましたが、とても立派。

さっきの古地図

古地図では、与野宿の南で道が二手に分かれ、左下に行く道は「脇往還」「羽ネ倉へ」と書いてあります。脇往還、羽根倉とは何でしょうか?

脇往還を調べると、江戸時代の五街道の脇道という位置づけで、古地図に記載の脇往還は、東京の日野宿と埼玉の岩槻宿を結ぶ道でした。日野宿は甲州道に、岩槻宿は奥州街道につながっていて、主要な街道同士をつなぐ道です。そして羽根倉は、埼玉大学の西に荒川を渡る「羽根倉橋」がありますが、川の渡しですね。

この脇往還と日向鎌倉街道が枝分かれする場所に「庚申堂」とか「道標」と書かれています。この分かれ道はどこか?現在の地図を見てみます。

さいたま芸術劇場の北のとんがり部分に、確かに庚申社があります。さっそく行って来て撮ったのが冒頭のタイトルの写真です。とんがった先にお社がありました。

そうすると、枝分かれ地点の右の「天神」は鈴谷天神社、「鈴谷」と書かれた寺はたぶん、大カヤのある妙行寺でしょう。

鈴谷の大カヤ

では日向の辻の南を見てみます。

古地図の南半分

日向の辻の右上の「不ドー」は、日向不動堂です。ここは日向さんという鎌倉時代の武士が築いた真鳥山城という城があったらしい。確かに高台になっていて、城を作りたくなる地形です。この辺は日向(ひなた)という地名も残っています。

辻の南の「氷川」は西堀氷川神社、その下のお寺は医王寺。その下の「ヤクシ」は上ノ宮薬師堂、その右の「イナリ」は須黒稲荷神社だと思います。

そして最後に、道が鴻沼川を渡る手前に「庚標」とあります。これは、中浦和駅近く、別所沼通り沿いで以前見つけた↓この庚申塔かもしれません。

地図では、道はこの先は引又河岸から志木の方に向かう道と合流しています。

最近は浦和近辺の庚申塔を見てまわることが多いのですが、地元の方が保存する石造物がタイムカプセルとなり、また古地図を模写して下さったお陰で、ちょっとした謎解きの旅をすることができました。

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