人は見えるものしか見えない - 新たな視点を持つということ
農産物の輸入の仕事をしています荒川防火水槽研究会と申します。名前は趣味のブログからそのまま使っています。
noteにはいつも仕事関係の話を書いていますが、今回は趣味の #防火水槽 を取り上げます。
私の好きな防火水槽は、最初の写真のようなものです。古い木造家屋の脇で見つかることが多いです。昔は火事が多かったので、各家屋に設置されていたものと考えられます。
最初に見つけたのは学生時代、何となく #文京区根津 のノスタルジックな路地に足を踏み入れた時でした。以来東京や大阪の街を歩き、これまで約300の防火水槽を発見してきました。何とJR田町駅のホームにもあります。また、趣味が高じて現物を一つもらい受け、今や私は防火水槽の"オーナー"でもあります。
防火水槽に興味を持って探しているうちに分かったことは2つ。それは、
・人は見えるものしか見えない
・あるべきところには無く、無いところにはあった
です。どういうことか、ご説明します。
1 「人は見えるものしか見えない」
私は街を歩いていて防火水槽があればすぐに目に付きます。興味があるから当然と言えば当然です。でも関心の無い人にはそもそも目に入りません。つまり人は関心や知識の有無によって「見えるもの」を選別してしまっているのです。
なので、勉強して新たなものの見方を習得するというのは"生きる喜び"そのものだと思うのです。
2 「あるべきところには無く、無いところにはあった」
防火水槽は戦時中に軍から出された「時局防空必携」という指導によって設置が義務付けられたそうです。このため、防火水槽が見つかるのは、戦争中に被災を免れたエリアです。
都内はだいぶ開発が進んでしまいましたが、 #月島 ・ #中央区湊 ・ #荒川区町屋 ・ #墨田区京島 あたりでまだ見つかります。
一方、空襲の被害が大きかった江東区などではほとんど見つかりません。
でも良く考えたら、空襲の被害が大きい場所ほど防火水槽のニーズがあったはず。これは「空襲を防火水槽でなんとかしようとした軍の戦略の甘さ」を端的に示すと同時に、防火水槽が無いところほど空襲が酷かったというのがいかにもアイロニー。
このことから、「ない」という現象を見て「あったこと」を想像できる力、というのも大事だなということを学びました。
防火水槽は私の趣味に過ぎませんが、色々教えてくれる存在であり、とても感謝しています。