僕と麻雀 番外編1本場
「梅田のパチンコ屋さんでパチンコを打っていたら、突然後頭部を叩かれたってことありますか?」
僕と麻雀シリーズは、35年くらい前の話です。
流石に時系列があやふやのものがあります。
そんなわけで、番外編を設けました。
その1本場は恋愛物。
では始まります。
何度か書いてますが、浪人時代(1浪の頃)に予備校で知り合い付き合うようになったTさんという彼女がいました。
Tさんは神戸の女子高出身で、理系クラスにいて真面目な子でした。
麻雀好きな人なら男女問わずわかると思いますが、生活のかなり大部分を麻雀が占めます。
例の「私と麻雀とどっちが大事なの?」なんて質問は野暮がすること。
答えは「麻雀!!」これ一択。
当たり前田のクラッカーです。
分からない若者はググりましょう!
で、自由が欲しい僕は、自分が自由でいるためにも彼女を全くといっていいほど束縛しませんでした。
周囲から僕は「Tを野放しにしている!」と言われてました。
はい、正解です!
当時の僕は、1ヶ月で25日くらいは麻雀をしてました。
麻雀やパチンコばかりで疲れた時に、ちょいと安らげる彼女がいればそれで十分でした。
それ以上は負担になります。
なので、軽めを希望してました。
ただ、Tさんは僕にとっては初めての彼女。
付き合い方って人それぞれ十人十色。
あっきーさん元気にしてるかなぁ?
アッそれましたが、元に戻ります。
僕は僕なりにTさんとの関係を大切に育みました。
ただ、彼女はそれでは満たされません。
夜、僕が麻雀から帰宅するのはだいたい23時前後。
メンツによっては、24時くらいになることも。
帰宅してからTさんに電話をすることがよくありました。
当時は、今みたいに個人で1台ずつ携帯電話なんてありません。
家には1台だけ黒電話があるばかりです。
それを夜が遅いので布団の中に持ち込んで話をします。
この布団の中の電話が、長くなると暑いんですよね!
クジラが海面に出てくるみたいに、ぷはーって感じで、たまに布団から頭を出します。
これをする前が電話を切るタイミングにもなります。
そんな電話で他愛もない話をするんですが、そうそう噛み合うわけもないです。
こっちは、勉強もせずに遊んでばかりの浪人生(2浪目)。
あっちは、私立大学の理学部に通う女子大生。
ある日、明日の予定をってなりました。
僕はいつも通り、梅田に出て麻雀をする予定でした。
ただ、Tさんはどうしてもデートしよう!ってことでした。
長引く電話。
僕も彼女も折れない。
僕は「じゃあ切るね!」と明日のデートはなし!って勝手に結論付けて黒電話の重い受話器を置きました。
そして翌日事件が起こるのです。
僕は麻雀のメンツが集まるまで、梅田の「ベガス」でのんびりとハネ物を打ってました。
ロングの箱を2箱くらい出して、さあこれから4000発終了に向かうぞ!って時でした。
高等部が暑い!
いえ、後頭部が熱い!!
いきなり頭を叩かれました。
この当時、僕はよく不意に叩かれてましたね。(予備校のIチューターには、十三の駅あたりで腹にパンチされました)
そして「バカァーーーーーーーーーーー」の一声。
それは餅のロンでTさん!
Tさん「ビッグマンで待ってたのに、なんでけーへんの?!!!」
僕「昨日、行けへんて言うたやん!」
と僕もはっきり、きっぱりと対抗。
ところが、彼女が泣いちゃいました。
そして、踵を返して離れていきました。
はい、終了!
僕は、泣かれたら全面降伏です。
僕がここまで主張していたことの正当性なんて関係なし!
まわりで見ていた誰かにパチンコ台は任せて、彼女を追いかけました。
パチンコ台に麻雀をしたい気持ちをぐっと抑えてデートとなりました。
ひたすら謝ったような気がします。
そんなTさんとは、僕が横浜に進学し大阪を離れましたが、24歳くらいまで5年間ほど付き合いました。
遠距離恋愛は大変でした。
頑張り屋の彼女は研究を続け、修士を奈良女子大、博士を京大で。
その後は知りませんが、きっと頑張っていることでしょう。