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努力はいらないは嘘。努力は必要だけど、”無駄な”努力を減らそう。

「努力なんてしなくても、ありのままの君でいい」
こういう優しい言葉が世の中に溢れている。
私はこのような優しい言葉は無条件に受け入れてはいけないと思っている。
なぜならその言葉を言っている人は、その言葉を盲信した人が起こした結果に責任を持たないからだ。
「ありのままの君でいいよ※この慰めは自己責任で服用してください」という注釈をつけて受け止めることをおすすめする。

しかし一方で努力至上主義も良くないと思っている
努力至上主義は努力さえしていればいいという考えであり、その努力のベクトルを評価はしていないと思っているからだ。
走った距離だけを見て評価するマラソンのようなものである。
この努力至上主義は根強く、極論では「成功しないのは努力をしていないから」という考えに至る人までいる。
この考えはワンマン社長などに多い印象だ。

これら2つの考えはどちらも極端だと思う。
私は『努力は必ず必要。だけど最低限の努力で済むように工夫しよう』という方針だ。
具体的に説明していこうと思う。

ゴールポストはどんなもの?大別して2つ。

まず努力する前に目標に関して考えてみよう。
大きく分けて目標は二つ。
①明確なゴールの基準が決まっているものと、②決まっていないものだ。

①の明確なゴールの基準が決まっている目標とは、受験勉強や資格試験など合格基準などがはっきりとしているものだ。
対して②の目標は「起業で成功する」や「大金持ちになる」といった明確な基準がないものだ。

Twitterの努力議論では、この二つの目標が区別されていないので話が平行線になるのだと思っている。

目標が異なれば努力の方法も変わってくる。
なので自分の目標が①と②のどちらかなのかをまずハッキリと区別しよう。

①明確なゴール基準が決まっている目標は努力しやすい

上述した①明確なゴールが決まっている目標は比較的努力しやすいだろう。
ここでは例を挙げて大学受験で考えていこう。
まず行きたい大学(目標)を明確に決めよう。
当たり前のように思えるが、まずほとんどの人がこれができていない。
「勉強していけそうなら東大に行けたらいいな」くらいの考えの人が多い。
これはゴールを決めずにマラソンを走り出すことに等しい。
そしてゴールのないマラソンなど拷問でしかない。
なぜなら人はゴールに近づいて前進していることに喜びを見出すからなんだ。
ゴールがなきゃ人は努力なんてできない。

では東大理学部に行きたいと仮定しよう。
これでゴールが設定された。
次に自分の現在地を把握しよう。
大学受験では自分の現在地は模試の偏差値で示される。
ここからおおよその努力の必要量を算出しよう。
(ここで諦めてしまう人が多いけど…)

あくまでも理想の最短経路だ。

全体の偏差値はどれくらい足りてないか?
東大受験者の平均以上の科目はあるか?平均以下の科目はどれか?
現在地の把握をした上でやっと努力の方向性が決まる。
「数学は得意で平均以上だけど、英語と国語が足を引っ張っている。」
この分析を行わずに努力しても意味はない。
ただ分析を行うことで、進むべき方向が分かってくる。
方向性が決まったら、あとは努力するだけだ。

努力のやりっぱなしはやめよう。効果判定は常に行おう。

現在地とゴールを把握して努力を始めたら、がむしゃらに頑張る必要がある。
ただ頑張るだけだとゴールにつけない。
努力していくと、徐々に向かう方向がずれていくからだ。
なので定期的に現在地確認を行い、進路の修正を行う必要がある。

一直線で行けることはほぼない。

大学受験だったら模試が現在地確認のいい機会だろう。
学校や予備校の小テストでも同じことができるかもしれない。
この現在地確認と進路修正を繰り返していくことでゴールを目指していくんだ。

上記のゴール設定と進路設定を行うことで①明確なゴール基準が決まっている目標は達成できる可能性が高い。(もちろん最後には運の要素もある)
では努力至上主義の人はどのような結果になるのだろうか?

努力至上主義の人たちは努力は確かにしている。
ただその効果判定を行わないので、結果無駄な努力に終わる。
例えば効果のない勉強方法(英単語帳に付箋を貼りまくるとか)を何十時間も繰り返す。
酷いことをいうようだけど、実らない努力はやっても意味がない。
むしろ努力した(つもり)のに成功しなかったという記憶が、将来の努力の足枷にすらなるかもしれない。

がむしゃらな努力はただ時間と労力を無駄にしてるだけ。

間違った努力の失敗体験から、「努力なんてしなくてもいい。ありのままで生きよう」という考えに至っているのだと思う。
つまり努力至上主義で失敗した経験を持つ人こそが、「努力はいらない」という甘い言葉が響くようになるんだろう。
(逆に努力至上主義で成功した人は、他人に努力至上主義を押し付けるようになるんだと思う)

初めから努力しない人間なんていない。
子供の頃サッカーやゲームが上手くなりたくて努力して練習したことはあるだろう。
その好きでやっていた努力が実らなかったことで、努力が嫌いになるんだ。
なので努力の正しい仕方こそ広まるべきだと思っている。

②明確なゴールの基準が決まっていないものは、どうやって努力すべきなの?

では②のゴール基準が定まっていないものに対する努力はどうすべきなんだろうか?
これは明確な小さなチェックポイントを作っていくことが必要だ。
金持ちになるなら、まずは貯金100万円貯めるべきだし、起業して成功するなら、まずは案件を10個成功させるなどの具体的なチェックポイントを決めるようにしよう。
模試が決めてくれていたチェックポイントを自分で設定するだけだ。
具体的なチェックポイントを決めたら、現在地確認と進路設定は上述の方法と同じだ。

TwitterなどのSNSは努力の練習になるかも。

今まで努力の方法について説明してきた。
ここで自分の話をすると、私も今は努力をしている。
大目標は「医業収入以外で月10万を安定的に稼ぐ」としている。
その収入源として、このnoteとブログを行っており日々継続してる。
特にメイン収入源のnoteは内容ももちろん重要なんだけど、読まれるためには宣伝も必要なんだ。
その宣伝のためにTwitterをやっている。

このTwitterは上述の努力方法の練習になるかもしれない。
まず具体的な目標が立てやすい(フォロワー数、万バズの回数など)
加えて投稿から評判の反映スピードが早く、アナリティクスも充実している。
なので現在地の確認(Twitterではどのようなフォロワーがいて、どのようなツイートが人気になりやすいのか)とツイート内容の修正(歴史ものが人気高いから、歴史解説を増やすなど)がしやすいんだ。

このnoteを読んでいる人はTwitterをやっている人がほとんどだろうし、正しい努力の練習としてTwitterを利用してみるといいかもしれない。
もちろんやりすぎは良くないけどね。

よかったらフォロワーの増やし方の記事も読んでいってね


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