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ふと考える… バンタンのこと


うたを歌うひとでよかった

気がつくと彼らのことを考えている自分(アミの方々はこんな感じなのだろうか、、)

で、ふと思ったんです 彼らが今世で歌をつくりうたうことをお仕事にしてくれてよかったなぁと

ふとそう思ったんですね
生きてると悩みや不安が手に余るほどになる時があったりしますが

彼ら(特にラプラのお三方はラップ詞を書くので)は 若くして世間や社会に自分なりの考えや意見があったんだろうというのが 楽曲を聴くと感じるのですけど

その抱えていた感情や葛藤 不安 怒り 創傷感など その年頃だから感じる感情もあるでしょうし 置かれた環境の中で感じていた感情もあると思います

そういったものを うたをつくるという作業を通して客観的に見えたり 当事者ではありながらコトバにしてリズムにのせて歌い届けることで 自分たちも癒されていたのではないかと想ったからなんです

そして 自分ひとりでは抱え切れない想いや 消化出来ない気持ちを 吐き出すことで溜めずに済んだのだったとしたら
生きていく時にとても健全(←この表現で正しいかはわかりませんが)にカルマみたいなものを昇華できたのではないかと思ったんです

もちろんやり続けていくことで また次の課題が出てくることが 生きていて生活していると出くわしたりしますけど

ナムさんなんかは それさえも受け入れてそれが自分だと認めて生きているんだな、とインタビューなどを読むとよく思います

生きやすいとは言い難い時代を歩いてきただろう彼らが
この歌い踊ることを選んでくれてありがとう♡
という想いが素直に出てくるのです

どこからの視点なの(偉そうですいません)かはナゾですが、彼らが歩いている道より 長い道を歩いてきたので(素直に随分センパイとは言わない、いえない、、笑)そう感じるのかもしれないですね


平凡に10代20代を過ごした ただの普通のヒトと彼らを比べてもわからない事なのかもしれませんが

彼らが才能に恵まれ 努力というものを諦めないひとたちで 目の前のひとを愛し 大勢の人たちに愛されることを厭わない そういう彼らが

声で音で抱えてきた想いを 共有してくれた事で どれだけのひとたちに影響を与え 
生きる事へのスイッチを押したのだろうと考えると やはりうたうことを 声で届けてくれることを続けてくれて 感謝という言葉が出てきます(アミというファンダムの片隅にいるだけの新参ものですが、、、)

とても意味があり 今の時代に必要なことだったのだろうと想うんです
(ますますダレ目線がわからなくなってきましたけど)


と、日常の生活でボーっとしながら 彼らを想う、、、そんな日々になってきましたが
そんな生活 キライじゃないです

なんなら愉しいのです!


ありがとうです☆ 防弾少年団♡


彼らとの旅はつづきます☆



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