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吐きだせ

両親がこのノート見ていないことを信じて更新します。


ノートを書くのは疲れる。頑張ろう期と頑張れない期がある。
なんとなくアウトプットしたい気分になったのと、三ヶ月も更新してないので流石に…..みたいな気分になったので。とか思っていたらさらに更新を忘れていて、5月に追記しました。


いつかどこかで吐き出そうと思っていたけど、あえて文章にして自分を見つめ直そうと思いました。そして整理できたので(多分)上げようと思います。よかったら見てやってください。



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「学費を払ってるんだから、絵を見せる義務があるんだよ!」そう、母に言われたこと。僕はいつも大学四年次の芸術祭の朝を思い出す。もう十一月も近くて、寒く乾燥した朝だった。外は秋独特の白い空色だったと思う。


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四年生は忙しかった。ハタチが終わったばかりの頃、ロシアがウクライナに侵攻をはじめ、どこかでまた戦争というものがはじまったことを覚えている。ニュースはそれで持ちきりだった。そんなとき学芸員の実習をしなければいけなくて、いくつかの施設に連絡をしていた。ああ、そしてパチンコ屋のバイトをやめたからお金がなくなって地元のケーキ屋のバイトを友人に誘われたっけ。夏休みが始まってすぐに合宿免許に行った。毎日が、本当に毎日が目まぐるしく過ぎていった。そのときは多分楽しかったと思う。


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そもそもどうして美大にきたのだろうという疑問が生まれる。気づいたら編入までして油絵学科に入学していた。根本には自由になりたいという気持ちがあったと思う。どちらかというと厳しく生きてきたつもりだったから、知らない土地を行って、知らない景色を感じて、知らない人と出会いたかった。


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合宿免許が終わり、新しく覚えたバイトを続け、気づいたら秋になっていた。みんなの空気が卒業制作に変わっていったのを覚えてる。学校に来るたびにあと半年で卒業するんだと思っていた。でも体は受け入れられなくて、悶々とした日々を送っていた。気分が上がらないからタイ料理ばかり食べていた。髪も金髪に染めた。逃避にタバコも吸った。どうしていいかわからず、午後は図書館にずっといた。そのあと寒く、埃が舞い、気化するオイルの匂いで頭がおかしくなりそうな大学のアトリエで天井を見つめていた。悶々と自分について考えてばかりいた。絵を描く行為が何か、人に対して自分を曝け出す行為にしか思えなくなって、いつしか筆を持つと虫の声が聞こえていた。「こうした方が目立つ。」「こういう絵の方が注目されやすい。」「こういうモチーフは評価されやすい、褒めてもらえる。」気づいたら、絵画は義務になり、描かなきゃいけないという束縛のようなものが自分に存在していたのだと思う。同じアトリエの子はのびのびと絵を描いていて、それを見るたびに自分にはなにがアイデンティティとして存在するのかよくわからなかった。帰り道はいつも寒くて遠くて、でも電車は帰りの人たちの熱気があってもっと嫌だった。みんな道を開けてくれ。そしていなくなれ。


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そんな中、世間はコロナウイルスとうまく共存できるようになり、例によって大学では芸術祭が開催されることになった。参加できるのはこれが最後という訳。だからもう自分の気持ちとか、卒業制作とかなんでもいいと思って、楽しもうと思った。コスプレでもしようか、それともスーツとか着ようかな、とか。

その日のこと、今でも思い出す。

多分二日目だったと思う。洗面所にいる母親がこう話しかけてきた。

「絵、出してないの?」「絵見せてよー、学園祭に出してないのー?」

優しい言葉だったと思う。でももう作品とかよくわかんなくなっちゃって、美大に来たことも全部全部ぐちゃぐちゃの感情で生きていた。毎日毎日苦しかった。だから反射的に

「ない!ない!」

そう言って顔を背けるように母を後にした。後ろめたさと恥ずかしさと、悲しさ、いや全部の感情がきっと混ざってた。

「学費を払ってるんだから、楓は絵を見せる義務があるんだよ。」


こう返された。正確には母が洗顔をしながら泣いていたので、自分から聞き返した後の反応だが。この言葉も優しかった。文章じゃきっと伝わらない。どうしようもない悲壮感が声から滲み出ていた。



………..なにも言い返せず、そそくさと家を後にした。(と思う)そして大学に向かった。



ごめん、ごめん、本当にごめんなさい。親不孝ものでごめんなさい。結果出せなくてごめんなさい。高い学費払ってくれてありがとうございます。本当にろくでもない人間なんです。死にたい。だめだもうやってけない、もう殺せ。

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現在は色々あって就職活動を始めました。ごめん、今日だけは会いたくない。それを何日も繰り返して会社に行く両親も見送らず、就寝するときに会えない時間に帰宅する。千円ほどの夕食を、家ではないどこかで食す。一日数時間ほどのアルバイトをする。世間的に見たら、ほんとに親不孝ものだね。上の文章の続きはいつか書きます。早く環境を変えたいです。


この日記?エッセイ書いてよかったです。心に留めておくのは苦し過ぎたので、報われた気がします。ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。本当に本当にありがとう。何もお礼できませんけど今日のところはこの辺で。

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