シャーレに詩を貝釦の ともし
柵でねむる鳥獣戯画
獣と植物
その姿に影に非で似たる
柵でねむった鳥獣戯画
戯曲演目に採用され
器官の鼻声混じりの歌
甘美なうたた寝を宿す踊り場から
うなじの緊張した面持ちで砕いていく
これから来ている朝を
始まりを打ち込まんとする朝を
待ちきれずに動き出そうとする朝を
ほっといてもやってくる夜を
双方に循環を与える昼を
切断の怯えるほとりで
不十分にも寝息で満たされる
覚醒しつづけて 狂えなかった
真夜中の螺旋階段
に ぼうっと吊るされた後頭部
うつろな灯でみやる
かすむ視野をこすっては 哀愁の残骸に
歯の抜けたような感触
小刻みに湯気が立ち現れた
水面にうつしだされては消え去りて
浮かび上がるのは 第一、
瞼の面だから
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それは2枚きっぷである
進行方向左、窓際の席に座っていると、次第に東の陽の半分が降り注いできた。カーテンを閉め切る乗客ばかりだったが、乗り物酔いがひどいのですべて閉めてしまうことができず、外の見える部分を残してカーテンを引っ張った。
出発直後は窓越しの眼前にアパート、マンション、一軒家などが現れると無意識という反射がシルク調の輪郭を追う。休日一発目の時間帯に、自家用車を洗車して拭きあげる男性の姿を流れながらも鮮明に目撃する。そのせいで電車酔いしそうになる。普通列車のスピードは並走している気分だが、それ以上ではほとんどの景色は認識という言葉の外側へと解放されていった。
建物の多い土地から稲穂の土地へと見える景色が変わるころには、リュックサックから本を取り出して開き、文字を追う余裕が生まれる。電車内で多和田作品(今回は『パウルツェランと中国の天使』)を読めたのはなんだか嬉しかった。いなほのあたまが綺麗な黄色をしていて、クリームを纏う紙の上とそれらを交互に眺めていた。
先日参加した写真イベントへと向かう車内での記憶です。いつものバスの半分で辿り着くスピード感はあまりにもあっという間で、地形を直線的に進みゆく不思議なおかしさを感じました。乗っていて確かに運ばれているはずなのにあんまり実感が湧かず、自ら降りた駅もほっぽり出されたようにホームに立っている感覚でした。
乗り慣れないので駅員さんに尋ね、焦りながら購入した切符は想定していたよりも破格な電車賃でした。聞いてよかった。
ではまた11月に。お会いしましょ〜。
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