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砂漠に浮かぶ骨雲


ヘタなままでいてくれる社交猫の
柔和な独りごと
欄干窓のかたわら 
薄膜へ

すけてきた梅の木の稜線
少しも歪まず
何者も目の前にはなかった 

ぼんやりと 
揺れているのかもしれない 
ほんとうのようには

一片の指がほんの転げ落ちる 荘厳な森々に
赤錆の
ブランコが
一脚で
鳥声の吹き替えられた 祖父の仮象
という点になりました

うっすらと砂をおぶって
鄙びたアパートの草埃を食む甲殻類は
思いつくとすれば
大葉と花びらがともに ぐったりよりそうところ
そのような塒である

ひかりゆく部屋には満ちるほどの
昏々とした遠吠えをしている



・渡りゆくことの光景・



・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・

こんにちは。1ヶ月ぶりのおひさです。
今月はあまり写真を撮る気持ちが起きず(というかここ数ヶ月くらいの現象でしょうか。服を選ぶときの参考にと撮った自分の映る写真とか、母の誕生日に撮ったケーキの写真とか、自転車購入検討のために撮った写真とか。愛兎の写真はよく撮っています。ここに載せることが少々憚られる個人的な写真ばかりがフォルダに並んでいました。いやむしろこちらの方が自然なのでしょうか)、過去に撮っていた写真の中から選んできました。とても気に入っている写真です。大きな河川から流れ込んできたと、書かれた看板が近くにあって、隔てる距離の短い河川もなんだかいいなと思いました。ですが、今この写真を見ていると、たったその日一瞬立ち寄っただけの観光気分から抜け切れることのない自分の感情がただ映っているだけの写真で、ただの一度だけの訪問をあまりにも記憶の中だけの理想世界として作り込みすぎていないか、とつい思ってしまいます。一度目、一度だけ、という特別さがあまりにも現実から乖離しすぎてしまうことをよく起こしているので、そうしすぎないように、そううまくはいかない、と反芻しているところです。

振り返ると、変わらず本を読み、詩を書いていました。詩の会に久しぶりに参加したり、トークイベントをオンラインで聴いたり、古本市で岩波緑の文庫を迎えたり、米粉のココア蒸しパンづくりにハマったりと、先月にはなかったこともやっていたようです。最近は日記を書いていないので、また再開したいなーとも思ったり。

という、5月が終わろうとしています。
来月はどんな詩が書けるのか、どう過ごしているのか、楽しみです。

それでは、また来月下旬に。
こちらでお会いしましょ〜

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