私の好きな、或いはあなたの好きな/好きだった、渋谷すばるさんについて。

◆前段「アイドルに必要な資質とは」の話

アイドルに最も必要な資質とはーー
顔や才能、華、色気、人柄、根性、頭の回転、運、まあ色々あるけれど、ファンとうまく「共犯関係」を結ぶことかもしれない、と、常々思っている。

ミュージシャン、俳優、アーティストと呼ばれる存在と、アイドルにどんな違いがあるのか、明確に定義されているのかは知らないが、アイドルとは芸事というより、【生き方そのもので魅了してくれる存在】である。

「健やかなる時も、病める時も」、
つまり楽しい時間だけではなく、活動していく上で突き当たった挫折や葛藤、ファンはそれすらも共に背負い、どう乗り越えてどんな背中を見せてくれるのかを見届ける。
順風満帆なだけのアイドルよりももしかしたら、多少の困難があったほうが、ファンとの絆は深く濃くなっていくものかもしれない。

当然、ただトラブルが多ければいいというわけではなくて、そこにはどうしても必要な要素がある。

ファンに「彼(彼女)には、自分が必要だ」と思わせてくれること。

1位をとるために。
ドームに立たせてあげるために。
何か困難に見舞われた時に。
私たちが、私が、支えてあげなきゃ。
言葉や態度で、こんなにも私たちを、必要としてくれているのだから。

だから時としてファンは自分の好きなグループを「うちの子たち」とか「自軍」と呼んだりする。アイドルは守るべき身内で、戦国の世を闘う、同じ軍隊なのだ。

そして、「この人のことを(いいところも悪いところも)世界で一番理解しているのは私だ」と、どれだけ多くの人に思わせることができるか。

ちょっと不器用でつっけんどんだけど、本当は寂しがり屋だとか。
メンバー同士の間でしか見せない可愛い部分を知っているだとか。
誰より苦労してきたのに表では笑顔しか見せないだとか。

ちょっと見ただけではわからない、普段は隠している部分をこっそり教えてくれた時に、

人は圧倒的に恋に落ちる。

◆前段その2「赤西仁さんの話」

突然話は飛ぶが、赤西仁さんが結婚された際、匿名掲示板に書き込まれて、たちまち伝説のコピペとなった「エターナル構文」というものがある。
赤西さんご本人が去年、10年の歳月を経てTwitterに引用したことで、見事本人公認となったあの名文。あれを笑うやつは、恐らく本当にアイドルを推したことがない人間である。
私は最近読み直して感動してしまった。

これを書いた方はきっと、赤西さんのことを好きな気持ちを大切にしていて、「たかが結婚」ごときでその気持ちを手放したりする自分でいたくなかったんだろう。その健気さを思うとぎゅっとなってしまう。

と、書き手に想いを馳せたと同時に、しみじみ感心したのは、彼女にこんな言葉を紡がせた(そして10年後、自ら引用するにまで至った)赤西さんご本人のファンとの向き合い方に対してであった。

仁に振り回されるのは慣れてるし。
こんな奴だけど好きなんだからしょうがない。
型に嵌まらないのが仁だしね。
Eternal構文より
私達は仁の音楽=魂を支えるから。
Eternal構文より

いや、まじで書き写しながら泣きそうになってしまった。

「彼のいいところも悪いところも、世界一理解しているのは私で、
(たとえ結婚しようとも)これからも彼には私が必要だ」

「結婚」という最大の窮地に際しながらも、
先述した2つの要素を見事にクリアしている。

これを私は、「共犯関係」と呼ぶ。

彼が大切にしている音楽活動を支えられるのは実際、ファンしかいないのだ。それは本当に、その通りなのだ。
私は赤西さんのことをよく存じ上げないので見当外れだったら申し訳ないが、ご本人の人柄や音楽の魅力がずば抜けているだけでなく、

「彼と私は共犯関係にある」

ちゃんと多くの方にそう思わせることができているから、彼は今日もたくさんのファンに愛されているのではないかと思う。

◆グループ脱退~二歳ツアーの話

すっかり前段が長くなってしまったが、我が最愛の推しであり、
【20年以上アイドルとして第一線で活躍してきたにも拘わらず、ファンと共犯関係を結ぶのが世界一下手な男】
そう、渋谷すばるさんについてである。

(前段で別の方のお名前とエピソードを引用させていただくのは、両者に対して非常に失礼なことだと理解はしているけれど、優劣を付けるための話ではないので、お許しいただけると幸いです。)

(また、文中「アイドル」という単語が頻出しますが、現在の彼/彼らをアイドルと定義しているというよりは、アイドルとしての立ち位置でファンとの関係性がスタートしたことを意識して採択しています。)

この1~2年間、
もっと言えばこの4年間、ずーっと彼のことを考えてきた。
いや、勿論それ以前から考えていたけれど、「何を考えているんだろう」ということを切実に考える必要は、そこまでなかった。
推しを目にした時特有の頭の悪さを存分に発揮し、「好き無理優勝」の3ワードを繰り返し発するだけで世界は平和に回っていた。

脱退理由うんぬんに関しては、今更多くを書き連ねるつもりはない。
ただ、もちろん当時は死ぬほど(文字通り死ぬほど、まじで人生で一番、愛猫が死んだ時と同じくらい)泣いたし、何故なんだ、意味がわからないと毎日毎時間毎秒考え続けた。

ただ、その答えは、「二歳」のツアーを観るうちに、私の中では既に腑に落ちていた。
そのことに関して当時インスタ(鍵垢)に書いた長文が残っていたので、せっかくなのでそのまま引用する。

◆「二歳」札幌二日目感想。

(2020年2月24日に書いたもの)

この二年の間、渋谷さんは一体何を考えてるんだろうとずっと考え続けてきた。関ジャニ∞を辞めるって、自分がいなくてもエイトは大丈夫だって、ちょっと意味がわかりませんと思ったし、自分の価値をとことんわかってない男だなと怒りすら覚えたし、最後のスバラジでも関ジャムでも、聞きたい言葉なんて何も聞けなかった。

この人の思考回路は永遠に理解できないんだろうな〜と思っていたし、だからこそ好きなのかもな〜と自分を納得させるしか術はなかった。

ちょうど一年前にFCが設立されて、つらつらとしたブログを読んでこの人は今遅れてきた思春期なんか???と苦笑したりしながら、
彼の気配が感じられることに歓喜する一方で、やっぱりずっと彼が一人になったということの意味が腑に落ちる瞬間なんてなかった。

その間、私を支えてくれたのは錦戸亮であり関ジャニ∞であり、十五祭でようやく、一年以上かけてようやく、6人の関ジャニ∞を応援していく、と心から思えるようにまでなったのだ。
それは一瞬の煌めきだったけれど、本当に本当に圧倒的な希望と救いだった。
渋谷さんがいたから好きになったエイトに、彼がいなくなってからも替えの効かない心の震えるような多幸感をたくさんもらった。
結果りょんもいなくなってしまったけれど、私が心折れずに今日も渋谷さんを好きでいられるのは、確実に6人と、そばにいてくれたeighterの友達みんなのおかげだ。

で。結論から言ってしまえば今回のツアーは、渋谷さんがこの数年、何を考えどんな気持ちで生きてきたのかの答えを、言葉では一切核心に触れる形で語られることのなかった答えを、完全にまるっとすべて教えてくれるものだった。

毎公演尋常ならざる緊張感で歌われる「ライオン」「TRAINとRAIN」「生きる」の本編ラスト三曲の歌詞一節一節を、こちらも毎公演必死になって聴いていた。

何故か進めないのは
そこには重く高く
分厚い壁が動かないから
悩み 怒り 受け入れられなくて
一人震えてた
「生きる」より
お利口さんじゃないとだめみたい
だから僕は気づかないうちに
スピードをゆるめてた
そこから色んなものが見えてきたんだ
真っ直ぐな線の上に
「TRAINとRAIN」より
0から100まで数えて
何度も考えたけど
答えはいつもひとつだった
すべてを手放しても
「ライオン」より

 「真っ直ぐな線」、つまり「人前で歌うこと」を迷いなく突き進んできた人がいつしか突き当たってしまった壁。
それは環境に対してではなく、ましてやメンバーに対してでもなく、「気づかないうちにスピードをゆるめてた自分」に対して感じた限界なのだということ。
何度も考えて悩んで、それでもたどり着いた答えはひとつだったということ。

傷つけたり 無視されたり
とてもきれいではないけど
でも僕のカラダは鉄づくり
何があったってひしゃげるものか
「TRAINとRAIN」より
臆病や苛立ちや
不安や絶望も
何もかも抱きしめて
愛してる 言い切る
「生きる」より
光も影も
傷跡もやき跡も
オレのもの
オレのもの
オレだけのもの
「ライオン」より

誰にも触れられない、侵すことのできない自分だけの生きる道を全うすると決めたこと。
その過程で生じる痛みも傷も絶望もすべてを自分だけで抱え、背負っていくということ。

楽しかった初めの線へ
歌い続けるよ ありがとう
これからは僕自身が敷いたレールを走ろう
「TRAINとRAIN」より
呼ばれる方に
飛んで行こう 飛んで行こう
歌いながら
「ライオン」より
前へ 進め
生きる
「生きる」より

あらゆる悩みと苦しみと情と未練としがらみを引きちぎるようにしながら無理やり進み、不安を抱えながら辿り着いた先は、とてもシンプルなところに立ち戻ったということ。

全曲、アルバムを聞いた時点で知っていた歌詞のはずなのに、ライブで歌われて初めてこれらが、あまりに嘘も飾り気もない、たった一つの「本当」なのだとようやくわかった。

ずーっとわからなかった渋谷さんの気持ち、蓋を開けてみれば驚くほどにシンプルで全く意外性のない答えだった。
ああ、本当にそれだけなんだなあと彼の全身全霊が物語っていて、文字通り、自分の中でみるみる腑に落ちていくのを毎回感じながら、
その切実さと誠実さがビリビリ痛くて、この数年の彼の葛藤が今更ながら胸に迫ってきて、とにかく毎回ぼろぼろ泣いた。

MCはもうどの公演も潔いほどに酷かった!
というか今思えば最初の幕張二日間が一番まともで、公演を重ねるごとに退化していっているようにすら見えた。
「これからもっと音楽を突き詰めようと思うので、そうすればするほどもっと喋れなくなると思うんですけど」。
深海魚から目が消えていくみたいに、スキルの振り分けを全部一点集中させていくみたいに、その分、歌が研ぎ澄まされていく。

もともと彼については、アイドル、ジャニーズという文化がすっかり確立されきった世代、各々がスタンスを選び取っていかざるを得ない中で、ただあるがまま振る舞い、それで愛されてきた人のように見えていたけれど、
それでも、きちんと彼なりに懸命に「アイドルとしてのエンターテインメント」をやっていたんだなあということがしみじみわかった。

幕張では「ライオン」のラスト、「オレだけのもの」と叫びながら歌った後、背中を丸めギターを掻き鳴らしながらぎゅっと自分だけの世界を守るように抱きしめていたのに、
札幌では途中からどこか気の抜けたような顔で客席をぼーっと眺めながらまっすぐに立ち、淡々とギターを弾いていた。「生きる」のアウトロも同じだった。

その姿が私には、三途の川から天国の光景をぼんやり眺めている人のように見えた。

すべての痛みも傷も一人で背負うと決め、ずいぶん長い間 内省的な時間を過ごしてきたであろう人が、公演を繰り返すうちに人前で歌を歌うということ、自分の歌を聴く人たちがいるということの意味を少しずつ思い出し、その光景を目に焼き付けようとしているみたいだった。

そんなふうにしてツアー中も進行形で、彼はどんどん憑物が落ちていっているみたいだった。シンプルになって、解きほぐされていって、研ぎ澄まされていっているように見えた。

久しぶりに自分を見た人、初めて見た人もたくさんいると思う、これからはずっと歌い続けるから、もっとがんばるから、よければまた観に来てくださいと静かに繰り返し言っていた。その朴訥とした言葉には、一切の迷いや誤魔化しの色はなかった。

関ジャニ∞を抜けたこと、7人という永遠を壊してしまったこと、それが罪なのか、それを罪だと誰が決めるのかはわからないけれど、
今回のツアーを観て少なくとも私は初めて心から、彼のためにはよかった、と思った。 

「爆音」の「止まらないこの初期衝動」という叫び、
「ライオン」の「どんなに大きな壁も真っ白なキャンバス」と歌う瞬間に後ろから照らされる光、
迷いのない眼、切れる息、長いお辞儀、
誰も触れることのできない、誰も邪魔することのできない場所にようやくたどり着けて本当によかった。

そう思わせてくれたこと、そう思えるだけのものを見せてくれたことが、ただひたすらに幸せで、もうあとはこれからもずっと、彼の息のできるあの場所が、彼が死ぬその日まで守られますように。

(引用終了、さすがにクソ長い)

結局「二歳」ツアーはめちゃくちゃ頑張ってチケットを取って、なんとか8回入ることができた。大阪と台湾公演×2もチケットを取っていたけれど、コロナにより中止。

次にツアーがあったら、何があろうと絶対に全ステすると、この時私は心に決めていた。

脱退からの空白期間を経て、ようやく光の当たる場所に彼が帰ってきた。

しかし、本当の意味での暗黒期は、この後の二年間だったように思う。

◆暗黒期の始まり・ツアー中止

前述のとおり、「二歳」ツアーは、2020年2月26日の福岡公演をもってコロナにより中断となった。

ちょうどマスクをし始めた頃で、フットワークと頭のとっても軽い私は「今だったら行くのを控えた人がリセールに出すかも」という邪な考えから前日にダメ元で申し込み、見事当選。即飛行機を手配して、福岡へと飛んだ。結果として、それが最終公演となってしまった。
香港・台北・上海とアジアツアーを挟んで、故郷である大阪舞洲での大団円を迎えるはずだったのに。

大阪の凱旋公演が叶わなかったのは、本当に痛手だった。
私のように呑気に全国を飛び回ることのできない、大阪公演のチケットだけを手に、彼をずっと待っていたたくさんのファンに、直接歌を届けることが一度もできなかった。

ファン一人ひとりが抱えていた「脱退」という傷にちゃんとかさぶたができる前に、閉ざされてしまった道。

それでも、「生すばる」やYouTube更新、アルバム「NEED」の発表など、積極的に発信は続けていたが、日程まで発表されていたNEEDツアーはまるごと中止。
年末のフェス2つも中止。配信ライブはあったが、唯一開催された大阪万博公園での単発のフェスを除けば、生で彼の歌を聴く機会を、約2年間封印された。

「NEED」は今でも毎日のように聴くほど大好きなアルバムではあったが、
言うまでもなく、渋谷すばるの真骨頂はライブである。

大きな声では言えないが、NEEDツアーが発表された勢いでFCを10口増やした私は中止が発表された瞬間にスマホを投げた。年末のフェス×2もチケットを取っていた。払い戻し用紙がその後届いたが、いまだに封すら開けていない。

グレた私がその間何をしていたかというと、ひたすら錦戸亮を観ていた。
Noteツアーに何回入ったかはわからないが、行くたびに買っていた色とりどりのチャームが16個あったので、16回は入ったということでしょう。リョ担じゃないのにこんな入ったやついるか。完全に馬鹿である。ただ、「好きな人を見失いそうになる時」私を絶望の淵から救うのは、いつだって錦戸亮なのだ。

ともかく、「二歳」ツアーであんなに響いた歌声も、遠くなりつつあった。

そんな時にふと届いたのが、2021年5月の、結婚の報告だった。

◆ぼちぼち結婚の話を振り返ろう

「結婚するならライブもやれ!」
「ライブさえ良ければ自分が推してる理由が確認できるのに!」

当時私が友人に送ったLINEである。

何様だという感じしかないが、本音だった。
リアコのつもりは毛頭なかったが、私もそれなりにメンタルを落ち着けるのに必死だったのだと思う。

FCブログでの報告は、すごく、なんというか彼らしい、清々しいものだった。
嘘がなくて、誠実で(いつだって彼はそうだ、本当に、嘘がひとつもつけない)独立から3年は置いてからの選択だったのも、ちゃんと機が熟すのを待ったのだなあと思うし、
なんというか、お祝いしないと、自分の狭量っぷりに後ろめたさを感じてしまうような、そういう類いの、素敵な報告だった。ように記憶している。
(しかし未だに気軽に読み返せない程度には、私も普通のオタクである)

もちろん、脱退した時点で、遠からず結婚はするんだろうなとは思っていた。
それこそ以前からいずれ家庭を築きたいと夢を語って憚らなかった人だから、覚悟していないほうが迂闊でしょ、という程度にはカードが揃っていた。

という前提を受けてだろうか、初日のファンの反応は概ね好意的だったように思う。
TLに並ぶ「おめでとう」の文字。

自分がなんと書いたかは今ひとつ覚えていないが、「私は結婚という制度を特段めでたいものだと思っていないのでおめでとうとは言えないけれど、渋谷さんが幸せな瞬間が続くといいなと思う」とか、なんかそんな感じの捻くれた、でも本当の気持ちを書いたような気もする。

まあ、とにかく、悲しいとか辛いとか裏切られたとか、そういう恨み言を言えるような雰囲気ではなかった、少なくとも当日は。
それが翌日以降、オセロが白から黒に変わるみたいにして、徐々にひっくり返っていった。

きっかけはいくつかあって、詳しく書くのは控えるけれど、
必死でネガティブな発言を抑え込み、お祝いしなきゃ、と健気に振る舞っていたファンたちや、興味本位で首を突っ込んでくる外野たちに、文句を言う噴出先を与えてしまった。

SNSはたちまち荒れていき、
「ああ、私も文句を言っていいんだ」「傷ついた、彼が悪いって言っていいんだ」という空気が一気に流れ込んできた。
あの濁流は恐ろしかった。
FCの更新を切った、というツイートをたくさん見かけた。
心から祝うことのできない自分も、祝福一色のTLに少し息苦しさを覚えていたから、初期的には多少溜飲が下がる部分も正直あったのだが、すぐに怖くなった。

ファンの減少=すなわち活動の幅を狭めるということぐらい、アホでもわかる。

当然ながら、彼は一切の言い訳をしなかった。
本当に、いつだって彼は言葉が足りないのだ。

アイドルが結婚した際などによく散見される「自分が結婚できるわけじゃないのに、なんで悲しんでんの?(笑)」という定型の煽り文があるが、それは「風が吹いても別に桶屋って儲からなくないですか?(笑)」と言っているのと同じである。
喩えたところで一ミリもわかりやすくならなかったし、何故かひろゆき口調になってしまったが、つまり、あまりに想像力が足りないということだ。

いろんな理由はそれぞれあると思うけど、結局は、寂しいのだ。
自分には見せてくれない顔を、見せているであろう相手がいることが。
一緒に生きる相手として、たった一人の誰かを選んだということが。

それはつまり、【共犯関係の解除通告】に等しい。
ああ、自分が支えなくてもこの人は幸せなんだな、私の知らない顔がたくさんあるのだなと思った時点で、魔法はたちまち解けてしまう。
必死で摑んでいたはずのものを、あっさりと手放してしまう。
かけた時間やお金が多ければ多いほど、時に、憎悪にすら色を変えながら。

本当は、どこかで許したいのだ。
「そこまで私のことが必要だって言うなら」「仕方ないなあ」と思わせてほしいのだ。
必死で、言葉を尽くして、許す理由を与えてほしい。
それが叶わないなら、圧倒的な魅力でこちらのボケた頭をぶっ叩いて、惚れ直させてひれ伏させてほしいのだ。

お願いだから、やっぱり好きと思わせてほしい。

「さすが私の選んだ男」と言わせてほしい。

それは、本当に切実な願い。

◆すれ違いのドラマが始まった

さて、携帯電話の普及以前、世間を席巻した恋愛ドラマは、軒並みすれ違いの物語であった。

何せ、連絡手段がない。待ち合わせ一つとってもうまくいかない。
互いの家の前でそれぞれの帰りを待ち、そのまま夜を明かしたりする。

その様子にやきもきしつつ見守っているうちに、8話くらいで一旦両想いになるものの、9-11話くらいで恋敵の逆襲をきっかけとした地獄のすれ違い展開が待っていたりする。
視聴者はストレスを溜めつつ、ラストには二人は結ばれると信じながら、なんとかそのターンを乗り切るのだ。

……という、その「地獄のすれ違い展開ターン」が、この通信手段の発達しきった現代で(いや、だからこそか)、そこからしばらく続くことになった。

本人だって、傷つかないはずがないのだ。
たぶん彼は、知らないけれどたぶんきっと、あの頃、めちゃくちゃ傷ついていた。
突然夜遅くに、酔った状態でインスタライブをやったことがあった。

コメントをしてくるファンと話そうと、共同配信者に招待するも、何度も断られていた。
そりゃ当然だ、いきなり招待されたら誰もがびびる。
せめて事前に言ってくれ。まずは整形してくる時間をくれ。話はそこからだ。

…すると、結局顔出して喋るのは嫌なんだな、という旨を、ぼそっと呟いたように記憶している。

生身の、自分のファンと、本当の言葉を交わしたいのに。
有象無象の匿名の存在から悪意を浴びせ続けられることに、彼がどれだけ消耗していたのか、わかった瞬間だった。

その後、ようやくつながったファンの子と話しているうちに謎に号泣したことや、(まじでこの人メンタルぎりぎりなんだなと思った)

「かわいいな、付き合ってや」と言ったあとに、「あかん俺既婚者やった」と言ったエピソードが目立ってしまったこと、(「そんなんも挟んどこうか」と冗談めかして言ったことに、このネタをどう取り扱うか本人も悩んでいる様子が垣間見えた/個人的にはちょっと萌えた)

予告のない配信を観られなかったことに疎外感を感じた人の嘆きも相まって、このインスタライブも、いい方向には転がらなかった。

ちなみに、私が彼の結婚に関して、どう自分の中で落とし所を見つけたかについてだが、もともと遥か以前から口癖が「愛人にしてくれ」だったので、
「むしろ既婚者になったことで一つ目標に近づいたと思うことにする」というものだった。
もちろん本気ではないし、(いや死ぬほど本気だけど)世界一バカバカしい解決策だが、「推しの結婚」を乗り越える結構いい手段な気もしているので、まだ推しが未婚の人は、今からそこに目標を設定しておくのもライフハックとしてオススメです。

話は戻り。
その後、怒濤の更新をしたと思ったら、Twitterをアカウントごと消したり。
真偽はよくわからないが、関ジャニ∞関連のコメントをした人をブロックしたという噂が流れたり。
インスタの過去投稿をガンガン消したり。コメント欄を突然閉じたり。

ああ、よくないな、荒れているなというのが、手に取るようにわかった。

そのたびに、彼が何を考えているのかわからないと、ファンは戸惑っていった。

お互い、大好きだったはずなのに。

案の定というかなんというか、「結婚するために脱退したんだ」と言い出す人も結構いた。
さすがに、それはない。そんくらい、わかってくれ。

そんなふうにして時に悪意ある第三者に煽られながら、
ファンと彼は、互いの真意を見失い、すれ違い、傷つけ合っていた。

そんな流れの中。去年の誕生日には、3枚目のアルバム「2021」が発売された。その中には、言葉遊びを用いポップに作品として昇華することで、できる限り生臭さを抜いた形にしてはあったが、狂気の子作りソングまで収録されていた。

日記のように曲を作ることをライフワークとしている人だから、必然だったのかもしれないし、非常にパンクな曲なので、攻撃性に溢れていた当時の彼の心には、ああいうアウトプットが必要だったのかもしれない。

必殺「愛人志願」で窮地を乗り切り、特典をコンプリートすべくせっせと5枚買った私ですら、「いつかライブでこれ演られた時、私拳突き上げるんかな?」と、苦笑いをする以外になかった。
アルバムのプロモーションはほぼ0で、セールスは奮わなかった。

迎えた年末。
半年延期になっていたイベント「NEOLAND」が福岡の地でようやく開催された。AJICO、そして、憧れ続けたクロマニヨンズとの3マン。
私はそこで、万博フェス以来実に1年半ぶりに、渋谷すばるを、生で観た。

当時Twitterに書いた感想。

すんっっっっっごい気迫でかっこよくてビリビリしてた、けど正直、同時にすんごい心配にもなってしまった。
Twitterより
渋谷さんて、人見知りで不器用でどうしようもなく生きづらそうな感じと、歌への情熱と「愛してます!」と叫ぶような純粋さの両軸で回っている人だと思っていて、私は不器用なあの人が歌っている間だけすべてを肯定し、肯定されるような瞬間がこの世で一番好きなのだけれど
Twitterより
今日は、どうしたって気負わざるを得ないシチュエーションの中、ただひたすら激情を音にしてぶつけているような感じだった、凄くかっこよかったけど、傷ついた猫みたいにも見えた、新曲の歌詞も痛々しくて、正直ちょっと苦しかった
Twitterより
敬愛するクロマニヨンズ前の出番であり(客も圧倒的に彼らのファンが多かった)舐められたらアカン的な気合いが入ったが故のことだったらいいんだけどね、最近の彼のモードから察するに、それだけでもない気がして、ちょっと苦しかったな
Twitterより
ほんとかっこよかったのに、苦しかった、どうか味方がたくさんいることを知ってほしい、あなたが生きて歌っているだけで救われる人間がたくさんいることを知ってほしい
Twitterより

サポートメンバーは、ずっとお兄さん的な立ち位置から渋谷さんを守ってくれていた史朗さん以外、全員変わっていた(この後、史朗さんも抜けることとなる)。

その直後に久しぶりに更新され、「なんとも言葉が出づらい一年だったように思います」という書き出し始まったFCブログ。
有料コンテンツなので直接的な引用は避けるが、NEOLANDでの出来事を振り返りながら、

  • プレッシャーと緊張がすごかった

  • いつものライブのような達成感は一切なかった

  • 決して悪いライブではなかったが、満足度で言うと100点満点中20点くらい

  • まだまだ自分は未熟で、悔しくて恥ずかしくて情けなかった

  • でもそう感じられることが有り難く幸せだと思った

…というようなことが淡々と綴られていた。

私がライブを観ながら勝手に心配していたことを、思っていたよりも冷静に本人も分析していることに少しだけ安堵しつつ、ざらざらとした砂が口の中に残るような感覚を覚えながら、苦しかった2021年は暮れようとしていた。

◆キミのその苦しみは僕のもの

そんな真っ暗な長いトンネルが続いていた中、私がようやく夜明けの気配を感じたのは、2022年4月、東京大阪で2公演ずつ開催されたFC限定イベント「babu会」だった。
「二歳」福岡以来、丸2年以上ぶりの、単独イベント。
純粋に渋谷すばるを愛する人だけが集まる4日間。
これは、本当に素晴らしい公演だった。

この一年半くらい苦しそうな姿ばっかり観てきたから、楽しそうに歌う姿が見られて、まだ楽しそうに歌う姿を見せてくれるんだと思って、それが嬉しくて幸せでボロボロ泣いた、安心した~、これでまた生きていける
Twitterより
は~渋谷さんがまだ世界のことを嫌いになっていなかったのにも安心したし、渋谷さんのことをどうしようもなく好きな人がこんなにたくさんいるということにも安心したし、自分が渋谷さんを観てまた世界一好き一生好きと思えたことにも安心したな~
Twitterより

Twitterで、繰り返し「安心した」と呟いているのを見ると、当時の自分がどれほど怯えていたかがわかる。

MCも一切なく、曲の間奏中もずっと後ろを向き完全に心を閉ざしていたNEOLANDとは真逆で、彼は実によく喋り、よく笑い、最後には何度も大きく手を振って去って行った。

自分のことが好きな人たちの前であれば、この人はこんなにも心を開いて歌うことができるのか。それなら、自分にもファンとして生きる意味があるなと思って嬉しくなった。

最終日には現在開催中のツアー「二歳と1328日」も発表され、
もうここからは、上向くしかないように思っていた。少なくとも私は。

しかし。
わかっていたことではあったが、まず「やばいな」と思ったのは、チケットの当落の日だった。

「次にツアーがあったら全ステする」という2年前の誓いを今こそ果たす時だと(※仕事のこととかは後で考えるタイプ)ノールックで全14公演を申し込んだが、あっさり自分の端末だけで全部当選した。
「二歳」の時は、1名義1公演が上限だったのに。

もちろん、脱退後初ツアーはご祝儀ベースというか、「どんなもんか観に行ってみよう」という方もたくさんいるものだから、二回目のツアー以降のほうがチケットが圧倒的に取りやすいのは当たり前のことだった。
が、周囲の申し込み状況を見ていても、楽観視できないことは明白だった。

ファン離れは私が危惧していた以上に、とっくに深刻化していた。

もはやそんなに大勢に影響はなかった気もするが、5月には第一子誕生のニュースも届いた。

その1か月後のことだっただろうか、レコード会社との契約が終了していたことを、ネットニュースで知った。
NEEDツアーを丸ごと飛ばしたことで、「大赤字です」と冗談半分でぼやいていたこともあったが、そりゃそうだ。活動をしなけりゃ金は入らない。金が入らないコンテンツからは、会社は手を引かざるを得ない。

ああそうか、きっとそういう事情も絡んで、サポートメンバーがどんどん変わっていったというのもあるのかもなと、ようやく理解した。

時間差なのだ。
私たちがそんな裏幕を知ることができるのは。
つまり一番荒れて苦しんでいるように見えた2021年の後半、彼は恐らく、一人でこの問題を受け止めていた。

「健やかなる時も、病める時も」、
楽しい時間だけではなく、活動していく上で突き当たった挫折や葛藤、ファンはそれすらも共に背負い、どう乗り越えてどんな背中を見せてくれるのかを見届ける。
前段「アイドルに必要な資質とは」より

挫折や葛藤すら一緒に背負えるのは、目に見える困難に突き当たった時だけだ。
本人が表に出せない本当の苦しさと対峙している時、それを知らされる術を持たないファンは、勝手に孤独感と不信感を募らせる。

全部、その苦しみさえも、本当は一緒に背負わせてほしいのに。

だが、しかし。

ようやくなんとなく状況を理解したことで地の底まで落ち込む私を尻目に、
この数か月の渋谷さんは、憑きものが落ちたようにフラットで前向きなスタンスを貫いている。

それはもう、端から見ているととっても呑気に見えて、危機感足りなくない? 大丈夫? と勝手に心配してしまう程なんだけれど。

たぶん彼は去年、とっくに地の底まで落ちたのだ。
そしてまた、立ち上がって歌うことを選んだ。
今のバンドメンバーと出会えたことも恐らく相当大きいと思う。

きっと一度世界のことが大嫌いになったのに、
今また他人を信じて、繋がることを欲しているように感じる。

◆一旦整理します。

さて、だいぶ話がややこしくなってきました。
ここで一旦、現状を整理してみましょう。

2022年秋現在の状況

【渋谷さんサイドのモード】

  • 暗黒の2021年は終わった。色々あったけど全部無駄ではなかった。

  • 今の自分は、ライブを観てもらえればわかる。

  • ファン大好き!

  • ファンとはもっとコアなところでラフに繋がっていきたい。

  • 自分はずっと歌い続けるから、今回は来られない人も、いつかタイミングが合う瞬間にまた交わることができるといいなと思う。

  • でも一旦ハマったらもう離さない(←これはマジで配信とブログで2回言った)

【今積極的に追うことのできていないファンのモード】

  • いやちょっと何考えてるのかこの1~2年間(or4年間)よくわからないです

はい!!!
この急激な温度差!!!

これがめちゃくちゃ歯痒い。

いや、私は結局、目をバキバキにして歌う渋谷すばるが好きでファンになった人間なので、彼が歌ってくれさえいればオールオッケーなのだが、
バラエティー番組でのセンスのあるボケで好きになった方や、
メンバーの中で姫のように大事にされる彼を好きになった方や、
アイドルとしてキラキラ輝いている彼を好きになった方が、
(私だって全部泣きたくなるほど大好きだ、恋しい、大好きだった)
今の彼に物足りなさを感じて、離れてしまうのであれば、寂しいけれど仕方のないことだな、と諦めもつくのだけれど。

もしそうではなくて、
ただ彼の心が見えなくなってしまって、不信感を抱いてしまったことがきっかけなのであれば、どうかもう一度チャンスをくれませんか、と祈る。

ここで話はようやく、冒頭に戻る。
ファンと共犯関係を築くことが世界一下手くそな渋谷さん。

芸能商売をする上で絶対に必要とされる、
「自分をよく見せるために繕ったり言葉を尽くすこと」を、
渋谷さんはよくも悪くも完全に放棄してしまった。

自分を棚に上げて、うまく騙すズルさを持ってくれていれば、救われるファンもいただろうなと思う。
結婚後も一切プライベートに触れず「なかったこと」のように振る舞えば、忘れてくれるファンもいただろうなと思う。
そのほうが売り上げだって立つのに。

でも、できない。
自分もどんどん変わるから、自分から離れる選択をしてしまう誰かのことも肯定するし、
嘘は、つけない。

それは、彼の美学であり、誠実さの表れだと思う。

前回のFC限定の配信で、「プライベートに関する質問が多い。聞きたくない人もいるだろうから、今回は話さないけれど、ここにいる人とはコアにラフに繋がっていきたいから、次回以降は触れるかもしれない」と話す一幕があった。

先日、ライブ会場でスタンプを押すために久しぶりにFCの手帳を開いた。
そこには、あの拙い字で「僕らはもう、家族なんだから」と、書かれていた。

私はもうなんだかたまらなくて、泣きたくなってしまった。

彼は本当に、ファンを大切に思い、信頼しているんだと思う。
一切着飾らずに、嘘をつかずに、そのまんまの自分を全部、ちゃんと伝えたいと思っているんだと思う。

日記のような彼の音楽には嘘がない。その時その時の彼の気持ちが全部詰まっている。
だから、プライベートで起きた大事なできごとは、彼の生き方=音楽にそのまま直結する。
そういうことを、大事な存在であるファンに、隠し続けることが不誠実なように感じているのではないかと思う。

それは一度でもアイドルをやったことがある人にしてはちっとも甘くない、身勝手であり、残酷とも言える誠実さだ。
その誠実さが、誰かを悲しませたり失望させたりしてきた。
何年経っても、彼との距離を測りあぐねたままでいるたくさんの人を、今でも少しずつ傷つけたりしている。

と同時に、本当にタチが悪いなと思うのは、彼自身も繊細で傷ついてしまう人で、いっそ開き直ってくれればいいのに、他人の気持ちや痛みを過剰なほどに汲み取ってしまう優しさを持っていることだ。
傷ついている誰かのことを思って自分もボロボロに傷つきながら、それでも曲げられないのだと思う。自分が、自分であるために。

私は、歯痒い。
本当は愛し合っている二人が、すれ違い続けるドラマを観ているようで、
お茶の間から「お前ら頼むからいい加減くっついてくれ!」と、泣きたくなるような気持ちで願っている。

◆歌が必要だ

さて、前述の通り、渋谷すばるさんは現在「二歳と1328日」という全国ツアーを行っている。これを書いている時点で、最初の会場である福岡サンパレスでの2daysを終えたところだ。

ツアータイトルは、文字通り宙ぶらりんになってしまったままの1stツアーをきちんとやりきりたい、というところから来ている。
「二歳」ツアー最終公演の舞台となった福岡の会場を皮切りの地に選んだのを見ても、彼にとってあの中断がどれほどのダメージだったか、そしてあれ以来の紆余曲折がどれほど苦しいものであったかを今更ながら感じ取ることができる。

もう一度、ここからやり直すと、心に決めたということ。

ツアーはまだ始まったばかりなので、内容について詳しく書くことは控えるけれど、もう本当に、最高で最高で、最高で最高で最高で楽しくて幸せで、本当に、生きてきてよかったと思った。
色んな背景をすっ飛ばして、そこには純粋に、音楽と喜びしかなかった。

正直、初日を観る前は怖かった。
埋まっていないであろう客席を観るのが怖かったし、こんな不安を抱えて一人で全ステするとかなんかの修行か? と思っていたのに、実際ライブが始まってみると、「これをあと13回も観られるの!?」と、幸せで卒倒しそうになった。
ヒマラヤ山頂だろうが深海だろうが、渋谷さんがライブをやるなら、這ってでも何処へでも行くと改めて決意しながら、ぼろぼろに泣きながら観ていた。

バンドメンバーがとにかく素晴らしいのだ。
どこかみんなに守ってもらっている感じのあった以前のバンドも温かくて好きだったけれど、今のバンドの「別の中学出身の男の子たちが高校で出会った」みたいな、変に依存し合うことなく、音楽だけでわかり合って認め合って、他にはなんにもいらんでしょ、みたいな、圧倒的にフラットな信頼関係が、今の渋谷さんをとても生き生きと輝かせている。

関ジャニ∞とはまったく違うバンド。
優劣じゃない。
ただ確実に今、この道を選んだ先にあった、ひとつの到達点に辿り着いている。

歌は、とにかく凄い。
babu会やサマソニでも感じたが、ここにきて声量は増しているしブルースハープも格段に上手くなっている。声が真っ直ぐに伸びて、会場のどこにいても全身に突き刺さってくる。
こればかりは生で観ないと伝わらない。ここにYouTubeを貼ることも考えたけど、映像でこんなもんかと思われるのも困る。
(ちなみにフェスよりワンマンのほうが絶対いいです)

そして、よく笑っている。
音楽を、ライブをやることの純粋な楽しさに打ち震えて、たまらず内側から笑顔が溢れ出す瞬間がたくさん観られる。
終盤には、客席を愛しそうに見渡す。
隅から隅まで、会場の一人ずつの顔を、見渡しながら優しく笑う。

「二歳」の頃よりも、ずっとしなやかでタフになったなと思う。
甘えた雰囲気が一切ない。
けど、とても優しい。本当に、今の彼の目線はとても優しいのだ。

(本当は、私たちはずっと昔から、彼がどうしようもなく優しいことを、とっくに知っていたはずなのにね。)

アイドルに、癒やしやときめきを求めている方にとっては、この数年間の彼の在り方と向き合うのは、そりゃしんどかっただろうなと思う。

何を考えているのかわからない人を追いかけ続けるのはしんどい。
自分を必要としてくれない人を支え続けるほど暇じゃない。

でも、ライブには、本当があるから。
あの場所に行くと、彼がどれだけファンを必要とし、愛しているかが本当にわかる。

別に人生をかけて、彼を追う必要はないと思う。
たまたま私は、辛い時も、逃げずに全部見届けないと、自分が許せないと思ってしまう特殊な推し方をしているけれど、

それこそアイドルの担当システムみたいに、降りるとか操を立てるとか、そういう付き合い方をする必要すらなくて、
年に一度くらいライブを観て、またそれぞれの生活に帰るみたいな、
そんな向き合い方も素敵だなと思う。

もし、あなたの内側にほんの少しでも動く心があるのであれば、
どうかお近くの会場に足を運んでもらえたらなと思います。

絶対に、彼はあなたのことを、全力で幸せにしてくれるから。

歌が必要だ 俺にはどうしても
歌が必要だ 君にもきっと
「SING」より

◆本当に伝えたかったこと

そう、何故私が、連休をまるまる潰してこんな長文をせっせと書いているかというと、色々あってずーっともやもやしていたこの1か月弱、自分の欲望を整理していくと、「渋谷すばるには永遠にスポットライトを浴びて歌っていてほしい(そしてその姿を生で観たい)」に尽きるな、という結論に辿り着いたからです。

私は私のエゴとして、彼がたくさんの人の前で歌っている姿を観たい。
歓声を浴びている姿を観たい。

そのために、自分がチケットとグッズをしこたま買う以外に、できることがあるならすべてやりたい。
というわけで、本当に伝えたかったのは、一人でも多くの方に、ライブを観ていただけたらな、ということでした。

今後も末永く安定して活動していただくためには、この資本主義の世の中、そもそも運営(つかご本人)にはもっと商売上手になっていただく必要があるのだが。

しかし正直おさえた箱は大きすぎるし、その上 平日2daysずつは無謀だし、
その割りにチケット代は安すぎるし(7800円税込、グッズ付きにして倍取ってほしい)
相変わらずグッズは仕様に凝りすぎて原価鬼高そうだし(内側にロゴプリントとか頼むからやめて)
精一杯のプロモーションは地方ラジオのコメントのみだし
「も~~~!?どういうつもり~~~!?」
と、社会人としての全私はいちいち頭を抱えてしまうのですが、
本人たちに一切悲壮感がないのは凄い。
もう覚悟決まってるんだなあ、と思う。

でも、本当にもったいないんだよ。

ライブは、とにかくめちゃくちゃいいので。

全然、今からでもチケット取れます。
このあと、名古屋・広島・仙台・札幌・東京・大阪と回ります。
詳しくは以下より是非。
https://special.shibutanisubaru.com/feature/livetour2022

9月22日はお誕生日公演だよ。

チケットどうやって取っていいかわかんない、という方はもうなんていうか私に連絡してください、代わりに取ります(?)。
(ほんとは空席作るくらいなら抽選で無料ご招待とかすればいいとも思うんですが。Kpopとかだとたまにやってるよ。そのうち1割でも次につながればハッピーだし、どうですかね運営様)

様々なご事情で、会場までいらっしゃれない方は、新曲だけでも是非聴いていただけると最高に嬉しいです。
4か月連続で配信リリースしていて、現状第1弾の「7月5日」という曲が各音楽サイトで配信中です。
聴いた瞬間から懐かしくて、夕暮れのスーパーからの帰り道、お母さんを見つけて走り出す子どもの背中を見守っているみたいな気持ちになれる、とても暖かい曲です。
ちなみに7月5日は結婚記念日でも子どもの誕生日でもないのでその辺が地雷な方もご安心ください。

https://nex-tone.link/A00104132

大倉担の友人は「BJっぽくてエモい(意訳)」と言ってました。
BJっぽくてエモいかどうか、是非お確かめを。

はあ。

言うまでも無いことですが、自分がファンの代表を気取るつもりなどは毛頭ございません。私より彼のことを長く深く好きな方、たくさんいらっしゃるし。
こんなん書かずに、「どうやったらチケット取れるか」に頭を悩ませているほうが、よっぽど気楽だったけれど。

まあでも、本当に、
私は渋谷すばるさんの歌が、本当に、世界一好きです。

その歌が、たくさんの人に届いて、
彼の不器用な誠実さが、隠れて見えなくなってしまいがちなあの優しさが、
かつて彼を一度でも愛し、そして見失ってしまった方に、なるべく齟齬なく伝わることを祈るし、いつかまた、信頼関係が生まれることを心から祈ります。

◆おまけ

今回この長文を書くにあたり、過去自分が書いたものを読み返していたら、
自分が何故彼のことがこんなにも好きなのかが詰まった文章があったので、おまけとしてついでに載せておきます。

「二歳」ツアー幕張二日目感想より抜粋。2020年1月29日に書いたもの。

 「生きる」という歌は、まあ渋谷さんの歌はいつもそうだけど、なんのてらいもギミックもない歌詞で、カラオケでその辺のおっさんが歌ってたらまあ、そうか頑張って生きてくれって感じで、
でもあの人があのテンションで歌うと、凄まじい説得力を持って言葉が殴りかかってくる。

真っ赤な目をひん剥いて、首中に血管を浮き立たせて、
地団駄を踏んでギターを掻き鳴らして、過呼吸のようになりながら絶唱して最後膝から崩れ落ち倒れ込む姿は、どう見ても明日死ぬ人のそれだった
地球最後の日の前日に、それでも最後の瞬間まで全力で生きると決意をした人みたいな歌だった

今まで色んなミュージシャンのライブをたくさん見てきて、たまにそういう夜に立ち会えることがある。
そういう夜がたまにあるから、同じミュージシャンのライブに何度も通うのだと思う。

だけど渋谷さんは昨日もそうだった、今日はさらにそうだった、たぶんずっとそうだ、知らんけどツアー中ずっとそうな気がする。
なんでこれかできるのだろうと思う、
倦むということを知らないのだろうかと思う

あんなにシャイなのに何故歌を歌う時だけあそこまでテンションを振り切ることができるのか、どうしてあの集中力と激情と純粋さを保ち放ち続けられるのか、さっぱり理解ができない
本当に眩しい

自分はうまく生きるためにいろんなものを捨ててきてしまったので、滅多に怒らないし私生活では何があっても泣かない。それでたくさんの人と関わって、適度な距離感でなるべく迷惑をかけずに生きていけるようになってしまった。
何をどう足掻いてもあの生き方はできない、
でもほんとはきっとあんな風に生きたくて、
あんな風に生きるということこそ「本当に生きる」ということな気がして、
だからあの人の姿を見ると普段は絶対に零さない涙が溢れるのだと思う。

エイタメ以降くらいの渋谷さんはあんな目をしなくなったから、もう大人になってしまったのかなと寂しく思っていたけど全然死んでいなかった
もしくはたくさん考えた挙句地獄から這い上がってきたのかもしれない、
ないしは安寧の地から自ら地獄へ落ちることを選んだのかもしれない。

関ジャニ∞ではなくなったことを寂しいと思わなくなることは一生ないけど、それでもありがとうと思った、死ぬほどかっこよかったし好きになってよかったと思った、ああどうしようもなく好きになった人がここに居ると思った

この人の歌う「生きる」を聴いて何も感じなくなったら、私はもう死のうと思った
そんな人生はいらない
そんな不感症の人生はいらない
あの人のように死ぬ気で生きているか
臆病も苛立ちも不安も絶望も愛してると言い切って抱きしめて前だけ見て死ぬ気で生きているか
それをずっと自分に問いかけながら、
私は死ぬまで生きる

我ながら極まってんなこの長文
ドン引くわ
Instagramより

は~~~本当に好きだな~~~。

あれから、たくさんまた変わったけれど。

彼は生きて、

私も、なんとか生きている。

今日も好きでいさせてくれてありがとう、幸せです。

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