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『ミッチェル家とマシンの反乱』を見た!

『ミッチェル家とマシンの反乱』を見た!

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超面白かった~!!!超笑った~!!!!
もうそれだけで、大満足どころか年間ベストってぐらいの作品だったのですが、思ってもみなかったことに遭遇してしまう。
それは主人公親子の関係性で、それが見ている今の自分(30歳男性)と重なりまくってしまったのだ。
事あるごとに、うわーわかんじゃんこれ~。ってなって、主人公が家族のことで一喜一憂するのをまるで我が事のように思った。
そして終盤、その関係性に対する変化で、私は、えぐっえぐうっえぐっ、と嗚咽漏れるくらい泣いてしまった。
この映画でこんなことになると思っておらず、不意打ちのように喰らったことにより情緒がえげつないことになってしまった。
私は泣きすぎて、痛くなった目玉をそれでもぎょろぎょろと動かしながら、なんとか結末まで見届けて、ああなんていい映画なんだ!!と思ったのでした。

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この映画に打ちのめされた私は、人にこの映画を勧めまくっているのですが、その時に使うキャッチは『劇場版のクレヨンしんちゃんを"スパイダーマン スパイダーバース"の手法で作った映画』と言っている。
それで引っかかる人は絶対に引っかかると確信して言っている。
何も嘘を言ってるわけではなく(クレヨンしんちゃんのところは、例えであるけども)スタッフはあの名作『スパイダーマン スパイダーバース』とも共通している部分が多いそうだ。
特に一番注目を浴びているのはプロデューサーであるフィル・ロード&クリストファー・ミラーのコンビだと思う。
監督作は『くもりときどきミートボール』『21ジャンプストリート』『LEGOムービー』と大傑作ばかり。
あと言えば『ブルックリンナインナイン』の製作総指揮とシーズン1第1話、つまりパイロット版の監督もしていたりと私や弟的にはこの10年はフィル・ロードとクリストファー・ミラーの手のひらで転がってぱなしやないかいと思う。
そしてなによりこの2人の名前が決定的になったのは『スパイダーマン スパイダーバース』のプロデュースだと思う。(フィル・ロードはスパイダーバースの脚本も担当している)
そんなコンビの新たなプロデュース作品!それは面白いに違いないと思った映画好きも多いと思うのです。
(フィル・ロード&クリストファー・ミラーのコンビとしての監督作品の新作はApple TVで配信されるAfter Partyという全8話のドラマだそう。これはパーティーの夜に起きた殺人事件をPOVスタイルで何が起きたかを描くミステリーコメディドラマだそう。面白そう!!!)

しかし、ついつい名前が知っている方にブレてしまうけども、ではこの映画の監督は誰?という話になります。
監督はマイケル・リアンダさん。この方は『怪奇ゾーン グラビティフォールズ」』のクリエイティブディレクターを勤めていた方だそう。
そして今作ではマイケル・リアンダは脚本も勤めている。共同脚本にジェフ・ロウさんがクレジットされているけども、ジェフロウさんもグラビティフォールズの脚本を書いていた人だそうです。
つまりはマイケル・リアンダさん含めて、『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』組が結構関わっている映画なんだそうです。
といいつつ、私は『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』を見たことないです。現在Disney+で配信されているそうです。
またDisney+に入ることがあれば、ぜひ見てみたいとは思います…。

そしてマイケル・リアンダさんとはどういう人なんだろう?と思ったので、海外のインタビュー記事をグーグル翻訳にかけながら、ところどころ不明瞭な日本語で読んでいったところ、この作品の大きなものが見えてきた…
なんて大ぼらをふくのはよくありませんが、要するにこの作品はマイケル・リアンダ監督の半自伝として作られたそうです。
マイケル・リアンダ監督の自分自身の奇妙な家族と、そして自分が大好きなロボットの世界をマッシュアップさせた。
それがこの映画なんだそうです。
なんて素敵な想像力なんだ!!!

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変な自分と変な自分の家族の話…というように、出てくるこの主人公ケイティとその家族は変人揃いだ。
まず主人公のケイティは変な子供だったと自認している。小学生時代に友達を作るために映画を作る。そしたら、それが妙にグロくて、笑われる。でも映画作りはやめなかった!自分自身のアイデンティティはよくわかんないけども、映画が友達で、弟とばっかり遊んで、自主映画作るにしても弟や飼ってる犬、もしくはぬいぐるみ(!)に出てもらってる。そして作ってる作品はノイローゼコンテンツ(by山岸聖太)という変だけども、なんていうかぶっちゃけケイティかっけえじゃん!とやっぱ思っちゃう。(しかしこのノイローゼコンテンツにも……というところが、作り手のどれほどふざけたように見える作品であっても、作っていれば個人の思いは入っている…というメッセージ、いやメッセージというほど大層なものじゃないけども、思いは入っちゃうよね、と思ったり)
そんでケイティは変……というか、「変」とカテゴライズされるのは周囲と相対的に判断されるものであって、湧き上がる創作意欲をおらおらおら~!と形にしまくる…しかも完全ホームメイドかもしれないけども、作れちゃうのってケイティかっこいいよ!と思う。変じゃないよ!っておもうけども、やっぱり周囲の環境に左右される頃ってきっついよねと余計に思ったり。
しかしケイティのホームメイドノイローゼコンテンツは結果その才能は認められアートスクールの進学が叶う!ってところからがこの映画のスタート。
やっと才能が認められた~と思っていたのに、お父さんは心配性…ということで父リックはそれを認めていないというか、心配しすぎるゆえに子供を認めていないし、目の前のケイティをちゃんと見ていない。
それが、ケイティの心を傷つけてしまって、でもアートスクールにいけば、当分合わなくていいしと思っていたら、父リックは仲直りのために大学に行くまでの道のりを車で行こうと言い出す。
最悪!
そんでわかる!
あの父親って存在はなんですかね、日常で積み上げてきた不和で家族仲がやばくなったら、突然旅行しよう!と言い出すんですよね。非日常でカバーしようとするんですよね。その前に、日常の言動をなんとかせえやって思うのですが、それはさておき。
まあ、その旅行やその後のトラブルでストレートに互いを認め合い、その父と和解する、というのならば、嫌いな話になっていたと思う。
しかし、その和解に至るまで、この映画は複雑な過程をたどる。気持ちは簡単じゃなく、何度も角を曲がるように、あちらこちらと行く。そしてその複雑な過程と、その過程の果てに吐き出される単純な気持ちに、私は、うおぅうぉっうおっと泣いてしまったのでした。
ふと思い出した作品はアレキサンダーペインの『ネブラスカ』であったりしますし、他に思い出したのは夢眠ねむさんが「最上もがさんと揉めてるんですよね~」と外野に言われると「私と最上がいくらケンカしても、そのことに対して言ってくるやつらよりはうちらの方が仲がいいから!」って言葉だったりする。

私は愛憎というややこしいもので、愛と怒りと混乱に疲れ果てていたところでした。
未だに親への関係に困りつつ、難しいと思ってる私は、ちょっとどうかしちゃうくらい泣いてしまったのでした。

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にしても、なんて狂ったアニメであろうか。
狂ったアニメ…とはアングラ的な意味ではなく、ほぼ秒単位で繰り出されるギャグであったり、引用の多さであったり、会話のスピード感であったり、とにかく一瞬足りとも、一切の隙を作らない、高密度も高密度な作品で、こんなものがよく作れたなって思う。監督のTwitterで6年かかったと言っていたけども、個人作業と実際のスタジオ作業がどれくらいの時間が裂かれているかわかないけども、6年かかるよなあと思う。
時間がかかったアニメかつ狂った作品でいえば『シン・エヴァンゲリオン』もめちゃくちゃ狂った作品だったわけですが、米国も米国ですげえ狂ってる。今年は狂ってるアニメが豊作だよ!嬉しいよ!!
海外アニメを見ているとそのスピード感に「すげえな!」ってなるけども、それで二時間映画作れるんだって思いましたが、私は同時に思っていたものはケイティが作っている動画がノイローゼコンテンツっぽいと言ったわけですが、山岸聖太が昔ファミ通WAVEで作ってたみたいなノイローゼコンテンツが二時間続いたら?みたいなことも思ってしまった。
ノイローゼコンテンツで作られた映画みたいだなって思いました。


↑ノイローゼコンテンツはこういう感じの映像です。


そう言うと「疲れそう~!」って思うかもだけども、物語の筋ははっきりしているから、見ていてストレスは感じない。
つまり「これはいまどういうこと?」みたいな混乱だったり、何を見ているの?みたいな混乱はない。
画面構成が物凄く巧みなんだと思うのですが、凄く見やすいから本当にそういう意味での混乱は一切ない。
その上でびっくりする情報量があるし、気が狂ったようなテンポで進んでいく。
そういう意味でも『シン・エヴァンゲリオン』を思ったりしました。
東の『シン・エヴァンゲリオン』、西の『ミッチェル家とマシンの反乱』。
狂ったアニメ二本立てしてほしいですね。

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そういえば、物語の話をあんまりしてこなかったけども、いわゆる、ロボットが反乱!という話です。
いいな~と思ったのは序盤でAIが「人間がロボットに優れているところを言え」って問う時に「愛とかつまらないことを言ったら、承知しないぞ」って釘をさしてくるのがいいなって思いました。
このシーンがある意味象徴的なんだけども、凄く単純化された「いい話」をものすごい勢いで避けていく。
そのほか、テクノロジーであったり、それを使う人々、社会、全てを皮肉というか、笑い飛ばしていく。
でも、それだけでは終わらなくて、それらを皮肉りつつも、物事の多面性というか、その色んな面を見せていく。
「自然」っていいよね。スマホって悪だよね。って映画ではない。
人間の感情とも技術も皮肉も、単純化しない。
全ては複雑だし、その複雑さを理解しつつ、安易に肯定もしないし、安易に断罪しない。
そうした上で、その願いのような、祈りのような希望を描く。素敵な作品だと思いました。
にしてもすげえ皮肉だと思ったのがいわゆるAppleのCEO的な人が「みんなの情報を売るなんて悪いことだとは思わなかったんだ~」と言うシーン。ガチ目の犯罪に対しての、謝罪のトーンの軽さに笑ってしまった。
つくづく人を喰ったような作品だよ!
あと反乱を起こすマシンが使ってる武器が、反重力ビームみたいなのが良かったです。
DEAD SPACEとかHALF-LIFEとかのゲームっぽくて。
ビーム!みたいなのよりも反重力ビームでふわふわ~ってかっこいいよね。なんかいいよね。
と思ったら劇中一番えげつないビームを放つのが、あの、あの!おもちゃである!!!
口からぶわぁー!と出した時にめちゃくちゃ笑ってしまった。
あっちの人もあのおもちゃのことは不気味に思っていたのね。モルスァ……。
それからなにげに「おお~」と思ったのが、00年代のあのヒット曲を使う演出だったり。
もう00年代はノスタルジックなものってのも勿論あるけども、これまで00年代はまだ映画であんまり出てこなかった気がしたので、ついに!という気持ちになった。
「00年代」も遠い過去だものね。ついに80年代や90年代から離れたようで嬉しかったです。
懐かしいあの曲が、世界を救う1シーンで使われるよ…!ってフラッシュ動画を見ていた小学生の俺に言っても「はぁ?」っていうかもしれない。世界は動く。それだけは知っておいてほしい。

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この犬、犬だよね…?が世界を救う大きな武器になるのも凄くいい。
飼い犬がえげつない活躍をするという意味でも、やっぱり映画版のクレヨンしんちゃんっぽい。
というか「野原一家ファイアー!」みたいなシーンがあったし、映画版のみさえっぽいシーンもあった。
だから日本でも予想を遥かに超えて受け入れられる気がする。
まだ見ている人が少ねえだけ!ってやつだ。
日本語吹き替え版で見たけども、お父さんの声が川平慈英でびっくりした。
むむむっ!なこともなくちゃんと達者な吹き替えをしていた。
主人公のケイティを演じる花藤蓮の吹き替えも超いい。
というか総じて吹き替えのクオリティも凄くよかったので、吹き替え版おすすめです。
なんせ情報量がとにかく多いから字幕を見ている暇すらない。だからこんな風に素晴らしい吹き替えを作ってくれてめっちゃ嬉しい。

そういえば、これは監督の半自伝で…なんてしたり顔で書いたけども、そんなことはこの映画を見ていたらわかるのだ。
そしてその瞬間に、この映画に出てくる変な家族は「どこかのだれか」の家族じゃなくて、「あなたやわたし、そしてみんな」の家族の話になる。
まあ、家族と問題を抱えていて、家族が苦しくて苦しくて仕方ないという人も勿論いる。
その人達も含めて、肯定するつもりはもちろんない。家族から逃げていいというのも勿論あります。
それと同時に私のように揉めながらも、その感情をどうしたらいいかわからなかった人としては、この映画で描かれたことは、すごく理想的かもしれないけども、その理想さ故にいいなって思った。
そして難しいけども、また自分の変な家族に向き合おうとも思ったのでした。

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