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みんなちがって、みんないいはずなのに。
園芸業界に就職して強烈に感じたことがある。
前職ではデザインを扱う仕事していたが、基本、他とは違うことが良いこととされた。
誰かの考えた同じことを製作物に落とし込めば、それは「パクリ」にほど近い。
だから意識的に、人とは違うことを選び、考えるようになる。
ところが園芸業界は違う。
他の農家と同じような花や野菜をつくり、できればハミ出たことはしたくない。
むしろ、「アレが良い」となったら、みんな揃って同じものをつくる。
まさに護送船団方式。
仕事の仕方もまた然り。
どの商品も規格に揃えなければならないゆえ、スタッフの動きや作業法まで細かく指図がなされる。
鉢に土を入れるとき、タネを播くとき、水を与えるとき…。
あらゆる作業の動作に「やり方」があり、農家独自の「型」があるのだ。
従業員ひとりひとりがその「型」にハマることが求められる。
でももう、そんなことで食べられた時代はとうに終わった。
その仕事に携わるひとりひとりが考え、個々が持つ技量を存分に発揮できなければ、人材不足と農業の近代化の波に飲まれて消える。
加えて、ひとと同じものを作るだけでは、新しいものも生まれず、消費者の多様なニーズに応えられない。
消費者のあらゆる価値観を汲み、商品に落とし込んでいくこと。
あるいは、今後予測されるニーズを見越して対応していくことが、園芸業界には不足していると常々思う。
それを踏まえて園芸店をまわれば、なぜ今、この植物が店頭に置かれ続けてるのだろう…と疑問に思う商品が多分にある。
誰が買うのか。
どのようにして育てるのか。
どこに置くのか。
どう贈るのか。
そしてそれらのセールスポイントをどうアピールできているのか…。
多様な情報が氾濫する現代。
誰かと同じことはダサくて、一瞬でコモディティ化する。
「ありきたりが売り」の昭和感覚では、令和の園芸シーンで生き残れない。