短篇小説「骨の別れ」:阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作
公募ガイド上で募集されていた、作家・阿刀田高先生による掌編小説の誌上コンテスト「TO-BE小説工房」。最終回、テーマ「骨」で、応募総数391編の中から選外佳作としてwebに掲載いただきました。ありがとうございました。
本文を下記に掲載させていただきます。
「骨の別れ」
高校二年になる前の春休みのことだった。わたしは、「骨」に出会った。
普段は寡黙な父が、「お前、プラモデルとか得意だっただろ。ちょっと手伝ってくれ」とわたしを呼んだ。何がなんだかわからないまま、大学で動物科学を教える父の研究室へとついて行った。研究室に着くと、そこには死んだ野ウサギが一羽いた。
「フィールドワークに行ったら、こいつが死んでたんだ。状態もいいし、骨格標本をつくろうと思ってな」
標本づくりを手伝えということらしいが初めての体験だ。緊張しながら、わたしは父のゼミ生の指示を受けながら作業を始める。ウサギを解剖して肉や内臓、毛皮を除いたあと、骨を薬剤に漬けてよけいな肉を落としたり、乾燥させたりする。骨だけになったところで、ようやく組み立てとなる。組み立てで、わたしはこまかな骨をつなぎ合わせる役目を与えられた。
動物の骨をつなぐ作業は、当たり前だがプラモデルを組み立てるのとは違った。骨格標本づくりは骨の声を聞くことだった。つまり、その動物が生前、どう生きていて、どんな最期を迎えたかを感じ取る作業だということ。わたしは標本づくりに没頭した。
数日間に及ぶ全作業の末、標本はようやく完成した。ジャンプする前の踏み込んだ姿。まるで生きているような素晴らしい仕上りだった。だが、この体験でわたしが覚えたのは、感動よりも諦めだった。この先、わたしは抗いようもなく、骨と道をともにするだろう――そう気づいてしまったからだ。
実際、進学した大学では生物工学を専攻し、生物の身体のつくりを研究。院を出ると、自然科学博物館の学芸員になった。その間もずっと標本づくりを続けていたし、骨格標本をつくるのが趣味だと職場で話すと、標本関係の相談が自然と集まるようになった。時には知人のつてで別の博物館の相談を受けることもあった。まさに、骨だらけの日々。それはわたしにとって幸せなことだった。
ある朝、仕事に向かおうとしていると、スマホが鳴った。見ると母からの電話だった。電話の向こうで母の震える声がした。
「お父さんがね……」
わたしは急いで実家に向かった。実家から離れたところで一人暮らしをしていたため、帰るのに三時間はかかる。わたしが地元に着いたとき、父の息は止まってからすでに何時間も経ったあとだった。死因は、明け方の心筋梗塞だった。
初めての喪主という立場で、バタバタと時間は過ぎた。葬儀の手配をしなくちゃいけなかったし、親戚や父の仕事関係の人々、自分の仕事場などと連絡を取り合わなければいけなかった。その中でわたしはまだ、父の死にきちんと向き合えていなかった。父の亡骸も、母の崩れるように泣く姿も、目にはしたが現実として受け入れられていなかった。
葬儀が終わり、棺桶に入った父の遺体を火葬場で見送ってからも、父が死んだことがまだ漠然としか理解できていなかった。また父と、骨の話でもできるような気がしていた。
やがて、係の人から、火葬が終わり、骨上げの準備ができたと告げられた。向かうと静かで小さな部屋で、遺骨が一体、横たわっていた。
骨上げとは、火葬された遺骨を拾い上げ、骨壺におさめていくこと。その際、係の人から骨の説明がされる。父の骨の話を聞くのはなんだか不思議な気分がした。嫌という意味ではなくて、父との出来事がすべて過去形に置き換えられていくような、妙な感覚がしたのだ。
箸を持ち、まずは母と骨を拾い上げた。順繰りに、親戚のおじさんや、いとこたちとも拾い上げていった。ほとんどの骨をおさめると、係の人は手袋をした手と専用の塵取りのような道具で、小さな欠片に至るまで骨を拾い上げた。瑠璃色のなめらかな磁器の骨壺に骨を入れ切ったところで、係の人は言った。
「すべての骨を骨壺におさめるために、大きな骨を折らせていただきます……」
ぱきり。
音がして、骨の一部が折られた。
母が数珠をたぐって、手を合わせた。
わたしはふと、父と最期に交わした会話はなんだったかと思い出す。話したのはやはり骨のことだった。電話で、今度初めて大きなクジラの骨格標本づくりに携わるよ、と仕事の報告をしたのだ。父は「そうか」と静かに言い、「うまくやれよ」と言い添えた。あれが最期だったのか。思い返すと父は、わたしに骨の魅力を教えてくれた人であり、わたしに進むべき道を与えてくれた人だった。
ぱきり。
もう一度だけ骨を折る音がして、わたしは父が死んだことを、とうとう理解した。
< 了 >
作品を書こうと思った背景
「骨格標本をつくる人」および、そんな仕事があることを、大学時代に知った。博物館に行って標本を目にする機会はそれまでもたくさんあったのに、標本づくりにまで考えが及ばなかったのが不思議なくらいだ。
その人は、博物館の奥の静かな部屋で、黙々と作業をしていた。たしか、鳥の雛の骨を組み立てていたところだった。「生きていたときと同じようなポーズを取っていた方が面白いでしょう」とその人は、骨だけになった羽を広げて、雛が餌をねだっているかのような標本をつくっていた。
時はめぐって、「TO-BE小説工房」が最終回を迎えること、そしてテーマが「骨」であると知ったとき、まっさきに浮かんだのがそのときの言葉と様子だった。骨でつながる、人と人の素朴でたしかな物語を書きたいと思った。
最終回、多くの力作がそろっていただでしょうが、こうして選外佳作に選んでいただけたことをとてもうれしく思います。ありがとうございました。