定年後 791 日目 中判フィルムで写真を撮ってみようと思う
動画作りにも慣れてきた
Vlog を Youtube にアップしたり仲間に見せたりすることが日常になってきた。
リグで重装備になった α7S3 を持ち出すことにも抵抗がなくなってきたし、編集もスムーズに行えるようになって、動画制作の基本的な手順は身についた。
ただ Vlog の構成がマンネリぎみになってきていて、構成や構図を工夫してみたいと思い始めている。
視野からはずれるアングルを探る
Vlog の構成は、引きと寄りの映像を組み合わせたり、Bロールを組み入れるといいよ、などとよく言われる。基本的に「自分が見たもの」を Vlog にするのが私のテーマなので、撮影中は自分の視野から大きく外れるアングルに意識が行きにくい。
直接自分が見ていなくても、その場で感じたことを端的にあらわすアングルを探ってみるのがいいかも知れない。
構図を考えるには写真がいいかも
構図を落ち着いて考えるには、動画よりも写真のほうがいいように思う。
特に私の場合は手持ち撮影メインなので、カメラを動かすことが多いためか構図を考えるのが難しい。
写真が上達するには、人の作品でいいなぁと思った写真のどこがいいのか、言語化する訓練を続けるといいらしい。(反論もあるようだけど)
ただ問題がひとつ。積極的に写真をみていない事もあって、「いい写真だなぁ」と思うことは年に数回ぐらいしかなく、なかなか自主練がはかどらない。
ふぁらおチャンネルが面白い
最近、写真の画角や構図について勉強になっているのは、Youtube のふぁらおチャンネル。強気で(生意気で)早口の(まくし立てる)語り口は賛否両論ありそうだが、オジサンは嫌いではない。
どのように考えていけばいいか、独自の視点で明快に解説してくれている。
サブスクでオンラインサロンもされているようで、そこに入るとさらに掘り下げた情報にふれることができるらしい。
ちょっと興味をソソられる。
写真整理で気づいたこと
先月から古い写真の整理を始めた。
実は死蔵されている写真(プリント)が 1 万枚ぐらい(超大雑把な推定だけど)あって、これを整理することにした。
すべて日常を写したもので、作品的なものはない。モデル撮影のような、似た写真が何百枚もあるということがないので、1枚づつ取捨選択と分類を続けている。
最近は昭和 40 年代のものを整理している。
多くは父が撮影したもので、この頃はフィルムがモノクロからカラーに切り替わりつつある時代だった。
当時は高度成長期ではあったものの、写真を趣味にするのはかなり贅沢だったことに違いない。1枚の写真にかかるコストも高かった。カラーフィルムで撮影したときなどは、最初に現像だけしてもらいフィルムを確認してからいくつかのコマを指定してプリントしてもらっていたりした。
(曖昧な記憶だけど、1枚プリントするのに当時の価格で100円ぐらいした気がする)
写真に写り込む緊張感
そんな時代の撮影は、撮る方も撮られる方も構えることが多かった。写真を見てもそうした緊張感が漂っている写真が大半。
これがなんだか心地よい。いい写真だなと思う。
特に中判フィルムで撮られたものに惹かれる。
どれもプリントされてから半世紀たっていて、画質的にはかなり劣化しているのだけど、そこに漂っている凛とした雰囲気を、素敵だと感じるのかもしれない。
35mm フィルムが主流になっていた当時、中判カメラで写真を撮るという行為は特別なものだったのだろう。
露出計を取り出して測光し、シャッタースピードと絞りをほどよく設定したら、目測で距離を読み取ってフォーカスリングを合わせる。1枚の写真のコストも考えれば失敗は許されないといった気持ちにもなっただろう。
中判カメラによる写真には、ちゃんと撮ろう、しっかり写ろうという意識がなおさら強く映り込んでいるのかも知れない。
今は簡単に大量の写真を撮ることができる。コスト的な負担もゼロに近い。だから素敵な表情の一瞬を逃さずにカメラに収めることができるのだけど、その反面存在感の薄い写真ばかりが溢れてしまうようにも思う。
こうして考えると、私は写真に込められた「意識」というものを「いいなぁ」と感じているのかも知れない。
話はどんどんそれていく
なんだか中判フィルムで写真を撮ってみたくなってきた。
今度、オンラインサロン MAGNET のメンバーで集うことがあれば、ジャバラカメラで集合写真を撮ってみようか。
凛とした雰囲気を写しとることができるだろうか。
2024 / 5 / 30