定年405日前 画面の大きさが意味を変える
B-roll コンテストの認識は正しかったようでホッとした。
夏休みの宿題レベルの作品なのに、DAIGEN さんは技術・魅力・独創性の 3 点で、採点とコメントまで付けてくれた。
きっと見てもらえたかどうかも分からないまま、応募総数の数字の 1 つは自分に違いないと言い聞かせて終わると思っていたのでビックリ。
ちなみに上位の作品は、DAIGEN さんが youtube で紹介していた。
三学期が始まり生徒が交替で登校する分散登校の中で、Teams によるオンライン学習の試みが私の学校でも始まった。
ただ回線は貧弱なまま。
同時に 3 つの授業を配信することぐらいしかできなかったので油断していたが、私にもオンライン授業の順番が回ってきてしまった。
授業の内容よりも、技術的なことが心配だった。よく聞こえないとか、よく見えないとか。
一番確実そうなのはあらかじめ収録しておいたものを流す方法。でも教育テレビみたいになって、きっと生徒はつまらない。
次に心配だったのは。ほとんどの生徒がスマホで Teams に参加すること。
いつもの調子で黒板に文字を書いても読み取れないだろうし、スマホ越しにノートを取らせることも難しそうだった。
そんなことを考えながら落ち着いたのが、トーマスガジェマガスタイル。
パワポで作成した資料をディスプレイに表示しながら、その横に立って解説するというもの。板書する予定だった内容はパワポにまとめてみた。
見ているだけでは退屈だと思うので、あらかじめプリントを配布して、解説を聴きながらプリントに記入していくようにしてみた。詳しい先生から Teams には課題データを配布したり、ネット上で提出させたりする機能がありますよ、とか言われたけど私には遥か未来のこと。
それでも初のオンライン授業は問題なく終了した。多分。
見やすい文字の大きさを気にしながら感じたのは、こちらが想定した画面サイズ以外の選択が容易であるということ。
写真を紙焼きで見せていた時代は、作者が大きさと余白を決めたら、鑑賞者はその状態のままで見ることしかできなかった。
それに対してデジタルデータの時代は、視聴者が再生機器を自由に選べられるようになった。スマホ、PC、テレビ、プロジェクタ…
ブラウン管の時代に比べて、再生サイズの幅が格段に広がった。
実は映像や画像は、大きさや余白が変われば意味も変わってしまう。
どの大きさで見せるか、どんな余白で見せるかを作者が決めやすい時代は、意味を固定しやすかったし、重要なことだと考えていた。
再生サイズ選択の主導権が、作者から視聴者に大きくシフトしていたことに改めて気がついた。
大変な時代になったなぁ、と思った。
2021/2/19