人間関係について

初めましてbosukaです。最近自分のことについて考えていることを書きます。
自分が人と「友達」というものに対する認識が違う可能性とそのことで生まれる問題について

人間関係の繋がりについて分類してみた。

家族:経済的繋がり(扶養し、される)があり、精神的繋がりもあるとされていて、肉体的繋がり(つまり性行為)は持ってはいけない。
友達:精神的繋がりがあり、経済的繋がり(お金の貸し借りとか)と肉体的繋がりを持つのは世間的に良くないとされている。
恋人:精神的繋がりと肉体的繋がりがあり、経済的繋がりを持つこともある。

自分はどうやら友達関係に対して家族の役割を求めていたように思う。
自分は人より人間関係において金をばら撒きがちで周囲の人が困っていると聞けば手持ちがある時は100万ぐらい平気で貸したりする。稼働能力の無かった友人を4年ぐらい養っていた。
特に自分の人付き合いについてこれまで疑問に思ってこなかったが、世間ではそういう話はあまり聞かないし特異な気がする。

人は人間関係に割けるリソースは物理的限界があるので、多くの人と深い関係を結ぶことは出来ない。だから家族とか恋人とか大切な人を差別して優先的にリソースを配分しているのだろう。
しかし自分には関係の良い家族というものが居ない、他より優先させるべき大切な人が自分の中で存在しないことにより、少し距離の近い他人を勝手に家族として認識しているのではないか。
推しの配信オーディションに3桁突っ込んだのも家族ならその構成員の夢に協力するのは当然のことだ。

私の望むのは精神的繋がりと経済的繋がりの重なる関係性。だけど多くの人は友達関係に経済的繋がりを望まない、だから自分が人間関係において満たされることは難しい。その重い思いを受けられるのは同じくらい壊れている人か、人の心の無い人だけだろう。そういえば私の周りには人の心の無い人が多い気がする。
コンカフェとかは経済的繋がりが既にある。欲しい2つの繋がりのうち得にくい片方を満たしている。だからハマる。

ここで言う経済的繋がりとは掘り下げると、相手の人生に自分が必要不可欠である。という関係性だと思う。子は親が居ないと死ぬ。友達は俺が居なくても死なない。
経済的繋がりだけで精神的繋がりが無いのは雇用関係だろう。自分は労働するようになってから社会と経済的繋がりが出来て、それだけでも精神が安定するようになった気がする。

誰かにとって必要不可欠である関係性とは、何も金銭だけに限ることは無い。例えばバンドとかパートが欠ければ演奏することが出来ない。
自分が高校生活に執着したのもそのような関係性を欲したのだろう。その影響となったアニメ『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』では主人公の天宮学美が学園祭中止を阻止するという目的のために友達と協力して運動をする。そこには学校生活における理想化された人間関係、経済的繋がりと精神的繋がりが重なる関係性が描かれていた。

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