だんだんと心を閉じていく

先日推してるコンカフェのキャストに「貴方は面白いけど、それは恋人や家族にしか見せない心の奥を曝け出して生きているから面白いのではないか、人が恋人とか親密な相手にしか見せない部分は大体面白い」と言われて、しばらくピンと来なかったため
自分は友達や知り合いから距離を近付けて行って恋人になるという、所謂一般的と思われる恋愛をしたことがないという事実に気付き心に何センチかの傷を負った。

私は誰に対しても自分のパーソナリティを何か演技したり隠したりということはした覚えがなかった。誰に対しても同じペルソナで接していると認識している。

いや再確認したら唯一私が物心ついた時分からずっと演技している相手というか場所があった。家族つまり血の繋がったリアル家族だ。
自分は幼少期は親に対してはキャラを作ってそれをずっと続けていた。例えば言葉を発語した頃は理由は不明だが女言葉を使っていて、小学校に入って使わなくなったが家ではずっと続けていて
家と学校では違うペルソナを付けていてどちらが本当かは分からないが、家の中の方が演技しなければならないというような強迫観念を感じていたことは間違いない。
あの頃はどうにも家の中では演技をしなければ受け入れられないと感じていたように思う、おそらく違う自分を出したら暴力を受けたりするというような深層心理があったのかもしれない。
その後家庭はしばらくして破綻したりしたが、何やかんやあって必要があれば会うぐらいには関係は修復した。それでも自分の家族にだけは絶対に自分の素を見せたくないと思っている。

他に自分の人格の奥底を見せたくない相手を探してみた。すると付き合いの長く距離の近い友人所謂親友と呼ばれる者ばかり浮かぶ、例えば彼らにこのnoteを読まれたくない。
付き合いが長いと相手のことがよく分かってきて、自分に対する「分かってくれなさ」まで分かるようになる。
自分の心を曝け出しても、相手は分かってくれないし無神経なことを言うのが最初から分かっているので隠すようになる。
これは私と近い関係になるには無神経さが必要なのか、それとも人は皆これぐらい他人のことが分からないし無神経なのが本当なのかもしれない。

関係性が深まり距離が近くなる毎に段々と心を開いていく、という一般的に思われる親密さのプロセスとは私は全く真逆で
初対面で人格のすべてを曝け出した状態で、関係性が深まり距離が近くなる毎に、相手が理解してくれなかった部分を見せなくなり段々と心を閉じていく。

思い返せば私と交際したり関係を持った異性は全員(と数える程も居ないが)、自分を曝け出して生きていた男女が出会った。というだけの話だろう。出会った瞬間が親密さのピークであとは下がっていくしかない。

さて、きっと私と恋人になれば他の人には見せないような他所他所しい一面を見れることになるだろう。もし結婚なんてすれば隠し事が増えてミステリアスな相手になっていくだろう。如何かしら。

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