自分の人生にあまり関係ないこと 労働と推し活

そろそろ自分は自分の人生を進めないといけないと思っている。
高校を辞めてから自分はずっと他人の人生の手伝いばかりしてきた気がする。思い返すと今日々のリソースの大半を労働と推し活に注ぎ込んでいると思う。

労働の内容はと言うと、その労働を私は金を稼ぐ目的でやっているだけなので、私にとってはそれが何であるか関係ないと思っているのでここでは書かないが、学歴も資格も経験も必要ない仕事で、殆ど人と関わらないで出来る、少なくとも他人に迷惑はかけない他人の役に立つ仕事だと思っている。
何故そんなに労働が必要かと言えば、家賃無料で住める実家を私が支援していた政治活動家の活動団体に使わせていて、(そもそも私が設備がボロいことを理由にあまり実家に住みたくないこともあるが)、私は外で一人暮らししていてそれで生活費が10万以上余計にかかっている。
私が活動家を支援する理由は、まあその活動が世の中に必要であり誰もそれを支援しないなら私がやるしかないということと、適当な地方議員にでもして秘書とかの名目で収入を得れば不労所得になると思ったが、やってみると政治は悪いことでもしなければ入るより出る方が余程多い。真面目にやればやる程金がかかるものだ。

可処分所得の使い道で言えば推しの居るコンカフェに通うことが多くを占めいてるような気がする。
他にもバーとかに飲みに行くのに使うことが多そうで、それは私が生活の動線で他人と関わることが少なく、私は他人との関わりを欠いて生きていけるタイプの人間ではないから、それを補うために必要とするのだろう。

そう考えると私は自分の人生の文脈に関係ないことに自分のリソースを注ぎ込んで、そのために自分の人生に関係のない労働をして馬鹿馬鹿しいような気がする。
それらを無くせば自分の時間が多く余ることになるだろう。(それだけ他人との関わりを欲する者がそれを全て無くすことは難しいだろうが)
では私の人生の文脈に関係のあることとは何だろうか。
とりあえず大学とか入りたいと思っていて、高校を辞めた時はまた高校に入って卒業するつもりだったが、もう何年も経つと流石にね、特に何になるかも決まっていないが私にとって普通に学校に通って大学を出ているということが正しい私の人生であると思っているから、意味など無いかもしれないけどそのルートに戻りたい。
それとこうやって私の文章を書くことは私の人生のやるべきことだと思っている。良い文章を書く、良いツイートをすることは私の人生だ。人間の価値はどれだけ良い文章を書けるかで決まる。

私が自分の人生をやらず他人の人生ばかりやるのは、結局自分が人生でやりたいことは曖昧で、他人のそれは明確に決まっているように見えるからだろう。
今大学に入ったってそこで私が何を得られるのかよく分からないし自分のキャリアに繋がるのかも分からない、文章を書くことだって何にもならない気がする。多くの人はやってもしようのないことだと言うだろう。そこに意味があるということは私が信じて担保するしかないのだ。

少なくとも推しのヲタクをすることは推しの人生にとって意味のあることだろう。活動者というものはそれを鑑賞するものが居なければ意味が無い、とまで言わなくても、絶対にあった方が良いものだと思う。
推しの活動を推したり布教することは、明確に意味があるものであると、推しの人生の文脈からその行動の価値を担保されている。

他の人の人生でやっていることというのは、私がそこに意味があると信じなくても、その本人がそこに意味があることを保証している。だから私はそこに意味があるかどうかを考えなくとも安心して手伝いをすることが出来る。もちろん私にとって他の人の人生の役に立つということが重要で意味のあることなのかもしれないが。

自分一人だけで、自分の人生にとってこれが意味のあることであると信じてやり続けることはとても辛いことだと思う。私はそれをそろそろやらなければならない。もしくはこれを読んでいるあなたに私が挑戦することを励まして貰って勇気をもらいたい。

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