大学卒業に際して
本日、2024年3月31日をもって、私はついに大学生としての身分を失うことになります。つまり、大学卒業です。
卒業に際して、個人的に振り返りなどをしてみようと思います。
もう殆ど素性出してるようなもんだから大学名出していいよね!
南山大学での思い出です
大学1年……コロナ禍の1年
私の大学生活は、新型コロナウイルス感染症による被害が広がっている真っ只中にはじまりました。
コロナ禍で、大学に通うことも叶わず、家で毎日オンライン授業をこなす日々……
……というのは散々言われていることだと思うので、私がこの1年をどう過ごしていたかを話します。
私の大学1年は、学歴コンプレックスとの戦いでした。
もともと通っていた高校の偏差値が高かったこともあり、私の友人はみんな私より偏差値の高い大学に通っていました。
そのこともあり、仮面浪人をするべきか、そうでなくとも何か特別なことをしなければと苦しみ続ける1年でした。
そんな1年でしたが、今振り返ると自宅にいる1年間でよかったなぁと思うことも多いです。
まずは、時間のある時にしかできなかったことができた。
家でゆっくり本を読んだり、AdobeCCを契約して動画の勉強をしたり、能サークルでの練習に打ち込んだり……いろんなことができました。
2つ目は、自分を見つめ直す時間ができた。
高校時代、勉強に同期のいない部活にと、かなり忙しい日々を送っており、適応障害を発症するくらいには追い込まれていました。
コロナ禍で1年間家にいたことで、疲弊した自分を癒すことができたのかなと思っています。
この年はオンライン授業への対応のため、授業の開始が例年より3週間遅れたのですが、その時間を使って毎日散歩に出掛けたのは本当に精神衛生上よかったなぁと思っています。
ちなみに、結局のところ仮面浪人はしなかったのですが、そのきっかけとなったのは大学の友人たちです。
南山大学は私立大学。学力的にも環境的にも、本当に幅広いところから色んな学生が集まってきていました。
そして、どの人も話す内容がとても面白くて、学ばされる日々でした。
さらに、自分の専門である古典文学でも、自分より知識があって、興味関心も深い友人がたくさんいました。
そんな彼ら彼女らが刺激となり、この大学で頑張ろうと決意しました。
大学2,3年……2つのサークルを建て、運営に奔走する日々
大学2年、ついに大学への通学が解禁されました。
……というわけでもなく、結局すぐに緊急事態宣言が発令されたので、なんだかんだで大学に通えるようになったのは大学2年の秋からでした。
大学2年の秋、私は友人とともに、学生支援サークル「ほみでぃぐ!」を設立しました。
「ほみでぃぐ!」とは、SNSを通じて、学生の不安を学生同士で解決していくプラットフォーム。
コロナ禍は依然続いていたので、友人が少ない人だと大学からの情報を見落としてしまうことがどうしてもありました。
SNS上で学生同士がつながることで、それを防止しよう、助け合おう……そんなビジョンで作ったのが、「ほみでぃぐ!」です。
そして、大学3年には、私は友人とともに、読書系イベントサークル「Activate NRL」を設立しました。
「Activate NRL」とは、学生の読書活動を活性化することを目的にしたイベントサークル。
「学生にもっと本を読んでほしい」という考えのもと、学生がもっと本を読みたくなるような企画やイベントを実施するサークル、それが「Activate NRL」です。
ほみでぃぐ!を設立したのは2年の秋。Activate NRLを設立したのは大学3年の春。半年?1年?の間に2つのサークルを立て続けに設立しました。
そのため、私はこれから、2つのサークルをまとめあげるために奔走していくことになります。
(ちなみに、設立者が一緒であるのとメンバーが一部被っていたため、2つのサークルの関係性が疑われることが何度かありましたが、実際は一切関係ありません)
特に思い出深いのは、Activate NRL。
初年度のActivate NRLは、主に2つのイベントを軸にして活動していました。
1つ目は、大学の学食とのコラボレーション。大学のとある学食を提供している企業と協働し、コラボスイーツを共同開発・販売するというもの。
2つ目は、講演会の実施。本と深い関わりを持つ方をお呼びし、講演をしていただくというもの。
これら2つのことは、メンバー全員が未経験のことでした。
加えて、活動資金を得るため、大学のスタートアッププログラム「南山チャレンジプロジェクト」に採用されていたこともあり、これらを1年間で実現しないといけませんでした。
正直めちゃめちゃしんどかったです。ストレス発散で居酒屋で飲んでいたら飲みつぶれた……なんてことが結構ありました(遠い目
しかし、サークルの仲間とともに、一緒にああでもないこうでもないと話し合いながら活動をすることは、それ以上に楽しいことでした。
学食とのコラボレーションでは、スイーツの開発のためのネタをSNSやインターネットを通じて探して周り、それが学生にとって魅力的なものにするためにアレンジをする……企業と協働しつつ、仲間とともにあれこれ考えて商品を作ることは、普段の学生生活では滅多にできないことです。
このサークルで活動していた時間は、学生生活でかけがえのない思い出になっています。
大学4年……教員採用試験、そして躁鬱
大学4年になり、私は教員採用試験を受けました。
1次試験はほぼ理想的な点数で合格。しかし、2次試験ではミスをしてしまい、結果不合格。
次年度からは、講師として働く道を模索することになりました。
しかし、その道も、途中で崩されてしまうことになりました。
秋ごろから、動悸を抑えることが少しずつできなくなってきました。
次は、じっと落ち着いていることができなくなり、その次は多動に近い状態になる。
そのうち、寝れなくなり、最後には、眠らず家をずっと歩き回り続ける状態になってしまいました。
気がついたら、大学に通うことすらままならない状況になりました。
その結果、医者から言われたのは、双極性障害(躁うつ病)の可能性が高いということ。
実はこの時、人間関係に大きなトラブルを抱えるとともに、教員採用試験や大学院の受験の失敗、その他の過労が重なり、心身ともに限界に近い状態になっていました。
それが、双極性障害という形として現れてしまったのでしょう。
そのため、私は就職をせず、1年間療養生活をすることになりました。
とはいえ、後悔をしているかというとあまりしていません。
不安はあるけど。
コロナ禍だったり色んなことがあり、自分を見つめ直す時間がこの数年とれていませんでした。
今回は、それを作る貴重な機会になったのだろうな、と思っています。
結局、どんな時でも希望を持って生きていかないといけませんからね……!
そして、双極性障害になったことで、気付かされたことが1つあります。
それは、仲間は自分の思っているよりも沢山いて、みんなが手を差し伸べてくれていることです。
躁で暴れそうになったときも、鬱で希死念慮に駆られたときも、なんだかんだで常に友人たちは側にいてくれて、話を聞いてくれたり、時には外に連れ出してくれたりしてくれました。
人は一人では生きていけません。
なんだかんだで支え合ったり支えたりして、生きていくものなのかもしれません。
それを、双極性障害になって、強く実感しました。
友人のみなさん、支えてくれているみなさん、ありがとうございます。
総括……居場所をもとめ、つくった4年間
私の大学生活は、コロナ禍ではじまり、サークルを作り奔走し、躁鬱になって人に支えられた4年間でした。
この4年間を一言で表すと、「居場所」になるかと思います。
1年生、コロナ禍では、自分のあるべき居場所を考え探し求めました。
2、3年生、対面授業がはじまると、みんなが助け合える、一緒にいられる居場所を求め作りました。
4年生、双極性障害になると、自分のもつ居場所に、そこにいる人々に助けられました。
そもそも、大学時代にいくつもサークルを作った理由は、みんなが集まってわちゃわちゃできる、そんな居場所を作りたかった。
いや、私がほしかった。
そんな理由でした。
居場所にしてくれてありがとう、居場所に入ってきてくれてありがとう、居場所で助けてくれてありがとう、そして、そんな場所を提供してくれてありがとう。
南山大学に、そして関わってくれた友人、先生に感謝を込めて。
卒業、しちゃったなぁ